穏健派を装うムスリム同胞団、慈善活動で支持拡大
世界の平和と安定を脅かす勢力の中に、弾道ミサイルや核の実験を繰り返す北朝鮮、領土拡大の挙に出た中国とロシア、イスラム教シーア派革命の世界輸出に没頭するイランなどがあるが、信仰を背景に勢力の拡大をもくろむグループがイスラム過激派だ。その背後には穏健派を装う「ムスリム同胞団」があるとみられている。(カイロ・鈴木眞吉)
「イスラム国家創建」を目指す
ムスリム同胞団は1928年、エジプト・イスマイリアで、イスラムの復興と植民地支配からの脱却を目指して結成された。イスラム法(シャリア)に沿った政治運営を目指したことから、設立以来、政権との対立が絶えず、過激化する一方で、慈善活動など草の根での支持を拡大していった。
同胞団の過激派姿勢は、54年にナセル元大統領暗殺未遂事件を起こし、81年10月6日には、同胞団から分離した過激派組織「ジハード団」がサダト元大統領を暗殺したことでも明白で、ムバラク元大統領は同団を「過激派を育てる温床」として警戒した。同胞団が母体のパレスチナのイスラム過激派組織ハマスは、イスラエルとの戦争を繰り返したテロ集団。
アルカイダの現最高指導者アイマン・ザワヒリは、14歳でムスリム同胞団員となり、ジハード団員を経て、アルカイダと合流。同胞団のイデオローグであったサイエド・クトゥブが、投獄される中で思想を先鋭化させ、ナセル統治下のエジプトをイスラム教成立以前のジャヒリーヤ(無明時代)と規定、「武力を用いてでも聖戦により真のイスラム国家を創建すべきだ」とのクトゥブ主義を唱えたことも過激化の背景にある。
しかし同胞団は、組織維持・拡大のため、穏健派を装い、モスクの建設・運営や病院経営、貧困家庭の支援など、草の根的な社会慈善活動を展開、躍進した。
過激派諸派がまず、現政権を打倒して権力を掌握後、イスラム法を国家に適用するという「上からの改革」を主張したのに対し、同胞団は、イスラム社会の拡大の上にイスラム国家を創るという、「下からの改革」(モハメド・F・ファラハト・アルアハラム政治戦略研究所研究員)を主張、路線の違いを演出した。
しかし、双方とも「イスラム法施行によるイスラム国家創建」の最終目的は一致している。双方とも現代社会を非信仰者の集まりと見なし、過激派はそれを公言、同胞団は公言しない立場だ。
トルコでは2002年に、同胞団系政党、公正発展党が政権を掌握したが、同胞団は、10年末からの民主化運動「アラブの春」に乗じ、エジプトではモルシ同胞団政権が誕生、モロッコでも11年に、トルコを手本にした正義発展党が第1党になった。チュニジアでは11年末、同胞団系政党アンナハダ中心の政権が一時、誕生。シリアの反アサド政権勢力の中心はムスリム同胞団だ。
現在は、同胞団の若手世代グループの一部が、武装組織「ハスム運動」と「リワアルサウラ」に資金提供するなど、武装闘争を続けている。
オバマ米前政権が、同胞団とトルコを中東安定化の要にしようとした政策も同胞団の躍進に大きな影響を与えた。エルドアン・トルコ大統領は「同胞団の国際組織の長」(ファラハト氏)と見なされている。
同大統領は、同胞団系のテレビ局、インターネット・メディアの開局や滞在ビザなどを優遇。同胞団の幹部会「シューラ評議会」はイスタンブールで頻繁に開催されている。
欧州での同胞団の最大拠点は英国で、ロンドン市長にイスラム教徒が就任した背景にもなっている。
同胞団は来年、創立90周年を迎える。イスタンブールとロンドン、ドーハ(カタール)を拠点に過激派諸派を背後で操り、それらのすべての実りを自分たちのものとして刈り入れようとしている。






