イラク反政府デモ、収拾見通し立たず

イランの介入へ反発が表面化

 イラクで10月1日に始まった反政府デモは、70日過ぎた今も出口が見えない。公共サービスを提供できない政府の無能や政治家の汚職、失業率・貧困の拡大などへの不満もあったが、イラクに深く介入するイランへの反発が大きいことが明らかになってきた。イラク国内のイラン領事館が、ひと月に3度も襲撃される事態に陥っている。(カイロ・鈴木眞吉)

領事館が3度襲撃受ける
イランに振り回されるアブドルマハディ首相

 イラクでは、イスラム教スンニ派のフセイン政権の崩壊を機に、多数派のシーア派政権が誕生、シーア派の盟主イランとの関係が緊密化した。

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1日、イラク中部ナジャフで、治安部隊と言い争うデモ隊(AFP時事)

 現在のイランは、パーレビ国王時代とは全く異なり、「イスラム教・シーア派革命」を経てその国家目標を、「シーア派革命の輸出を通じ、全世界をイスラム化する」とする国家に変貌してしまっている。

 その目標を推進する中核が同国の最高指導者直属の軍事組織「革命防衛隊」で、イラン国軍以上の武力を持ち、国内外に影響力を発揮している。

 その中で国外の特殊作戦を担うのが「コッズ部隊」で、現在の司令官はソレイマニ将軍。

 レバノンのイラン系イスラム教シーア派民兵組織「ヒズボラ」(神の党)やパレスチナ自治区ガザを実効支配中のハマス、イラクのシーア派民兵等に対する軍事訓練や敵国(イスラエル、米国、スンニ派民兵等)に対する破壊工作、国外のイラン反体制派の排除などを行っている。コッズ部隊の構成員は通信傍受を警戒して伝令を使って交信するという徹底ぶりだ。1979年以降、同部隊に暗殺された人物は元首相らを含む70人以上とされる。

 イラクでの今回のデモの直接的な契機の一つは、過激派組織「イスラム国」(IS)との戦いで大功績を挙げたアブドルワハブ・サアディ将軍が9月に左遷されたことにある。彼の部隊が米特殊部隊の支援を受けるなど、米国と緊密な関係にあったことを、イラン系のイラク非正規軍「国民動員軍」(PKF)が不快に思っていたことが左遷の背景とされ、サアディ氏は国民的英雄でもあったことから、左遷に反対するイラクの若者が街頭に繰り出した。

 日々拡大する反政府デモに対し、イランが支援するシーア派民兵が暴力を振るったことや、ソレイマニ司令官が、イラク政府にデモを厳しく弾圧するよう要請したことなどがさらに、イラク国民の反イラン感情を高揚させた。

 実は、それ以前から、同司令官が、イランが操作しやすいアブドルマハディ現首相を首相に就任させるための工作を行っていたとされ、既に反感が蓄積されていた。

 現首相が最初に辞意を表明した際、同司令官が動き翻意させたことや、2度目の辞意表明時も、すぐさまイラクを訪問し影響力行使を試みたことなども反イラン感情を刺激した。

 現首相は最終的に、イラクのシーア派最高指導者シスタニ師の勧告に従い、辞任を決断したものの、イランに振り回されるイラクの実態を世界中に見せつけた。

 サルマン・ラシュディの小説「悪魔の詩」を邦訳した五十嵐一筑波大学助教授が1991年に何者かに殺害されたが、コッズ部隊による犯行との説もある。