王朝護持と保身に走る正恩氏

宮塚 利雄

宮塚コリア研究所代表 宮塚 利雄

習氏に「後ろ盾」を依頼
文氏には米との橋渡し懇願

 北朝鮮の朝鮮労働党委員長・金正恩とアメリカ大統領トランプとの“舌戦”ならぬ、“リトルロケットマンと老いぼれオオカミの化かし合い劇”に世界が翻弄(ほんろう)されている。12日にシンガポールで予定されている「史上初の米朝首脳会談」の実現を前に、金正恩は「金王朝体制の護持と自らの保身(斬首作戦の回避)」のために、なりふり構わず韓国大統領・文在寅と中国国家主席・習近平に「渡りに船」と言わんばかりに2度も泣き付き、トランプは5月24日に突如、米朝首脳会談の中止を発表したかと思うと、26日には従来予定していた通りに行うと発表し、朝鮮半島問題の専門家やマスコミ関係者を翻弄した。

 4月27日午前9時29分、金正恩は南北を分断する軍事境界線を含み笑いの笑顔で、南側に待機していた文在寅と握手を交わして越えて来た。この瞬間を同時中継されたテレビで見た世界の多くの人々は金正恩と文在寅の欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する姿に、驚きとともに感動すら受けたのではないだろうか。

 文在寅はなぜ敬重に金正恩を出迎えたのか。金正恩にとって南北を分断する軍事境界線を歩いて越えることは、それこそ「茨棘(しきょく)の地を素足で踏み越えて来るよりも苦痛を伴う」ものであったはずだ。だが「200メートルがなぜこんなに遠かったのか」と、南北分断の元凶が北朝鮮側(祖父である金日成の蛮行)にあることなどおくびにも出さず、来るべき米朝首脳会談実現の橋渡し役の大任を担っていると自任している文在寅をいたく感激させた。

 この翌日、日本の某中央紙に「USO放送 歩いて境界線越え 実にうらやましい―脱北者」という記事が出ていた。日本のテレビ局がソウルで脱北者たちにもこの瞬間を取材していたが、脱北者たちの表情はもっと複雑なものに見えたが…。

 金正恩と文在寅はこの会談で、南北が朝鮮半島の「完全な非核化の実現」目標を宣言し、饗宴(きょうえん)の場には金正恩夫人の李雪主をサプライズとして登場させることまでやってのけた。ここまでは金正恩の「融和作戦による演出」で文在寅政権をうまく懐柔することはできた。

 しかし、3月8日に韓国の特使がアメリカでトランプに会って、「米朝首脳会談の開催」を打診した時、トランプは「よし、会おう」といとも簡単に承諾し、どうせ会談するなら早い時期がよいと言って、5月か6月にでも会おうと応えたことへの対応に迫られことになった。この快諾には金正恩ばかりでなく長年対米交渉を担当してきた担当者までもが驚いた。北朝鮮側は米朝首脳会談が実現しても、その時期は1年くらい先のことになるだろうと予測していたのである。

 当惑した金正恩は南北首脳会談の報告という名目で、慌てて習近平に「後ろ盾」となってもらうため、これまた夫人を伴い、これまで金日成・金正日が行った中国への謁見(えっけん)の格式を踏襲して「1号客車」に乗って駆け付けた。中国で助言と保証を得た金正恩は「これでトランプと対等に会談ができる」と踏んだが、会談開催が近づくにつれアメリカ側が求める「完全かつ検証可能で不可逆的な廃棄(CVID)」の短期間での実現要求に、「見返り」を得ながら段階的な措置を望む金正恩政権は躊躇(ちゅうちょ)した。朝鮮半島の非核化をめぐる米朝間の認識の違いが浮き彫りになった。

 金正恩は5月7~8日に再度中国を訪問したが、この時は列車ではなく飛行機で行き、しかも夫人同伴ではなかった。金正恩は習近平に「米国は、非核化を終えれば経済支援を行うと言うが、米国が約束を守るとは信じられない」と不満を表明し、「米国と非核化について包括的な合意ができた場合、中国が中間段階で経済的な支援を行ってほしい」と要請。これに対して習近平から「米国と合意し、非核化の具体的な進展があれば、中国が北朝鮮を支援する大義名分ができる」という言質を得たようだ。

 中国からの経済支援の前向きな言葉を引き出した金正恩は、米国務長官ポンペオと会談し、北朝鮮に拘束されていた米国人3人の解放を約束し、さらに、5月23~25日に核実験場を廃棄すると発表した。しかし、北朝鮮第1外務次官・金桂寛が「米国が一方的な核放棄を強要するなら朝米首脳会談に応じるか再考せざるを得ない」と発表した。これに対し米副大統領ペンスが「金正恩は取引しなければリビアの轍(てつ)を踏む」と発言するや、北朝鮮外務次官・崔善姫がペンスの発言に反発し、米朝会談について「再考を最高指導部に提起する」とまで息巻いたが、これに対しトランプが米朝首脳会談の中止を発表して対抗した。

 その後、両国間のさまざまな外交的な駆け引きが展開され、さらに、金正恩は最後の切り札として再度、文在寅に米朝首脳会談実現の橋渡し役を懇願し、現在ではシンガポール、ワシントン、板門店で米朝両国の実務者協議が行われている。「金王朝体制の護持と自らの保身」のために、世界が翻弄されているのが実情だ。(敬称略)

(みやつか・としお)