核・ミサイル戦略、中国の足元見て武力挑発

検証・金正恩統治5年(下)

 北朝鮮がこれまで強行した5回の地下核実験のうち4回は金正恩氏が後継者に決まって以降のものだ。回数を重ねるごとに爆発規模は大きくなり、今年9月の5回目は広島に投下された原爆の3分の2の規模までたどり着いたとみられている。

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北朝鮮が行ったロケットのエンジン噴射実験を視察した金正恩朝鮮労働党委員長(中央) 9月20日付の労働新聞電子版より(時事)

 正恩氏は核爆弾の運搬手段となる各種弾道ミサイルの発射にも余念がなかった。特に今年、完成すれば射程1万㌔で米西海岸まで届く大陸間弾道ミサイル(ICBM級)のテポドン2改良型をはじめ各種の短中距離弾道ミサイルや潜水艦発射ミサイル(SLBM)の試射を繰り返した。

 ここには「国際社会の制裁がさらに強まる前に核攻撃能力を高めておきたい」(元韓国政府関係者)との思惑があるようだ。核の遠隔攻撃に必要な核爆弾の小型化・軽量化は間違いなく成果を挙げつつある、というのが専門家たちの一致した見方だ。

 核・ミサイル開発の先に見詰めているのは米国との交渉。体制保障を取り付け、経済制裁を解除してもらえば、何代にもわたる世襲が可能とでも踏んでいるのだろうか。

 核問題の「当事者」を自称する韓国にとり、正恩氏の核戦略に転換を迫る最初の試金石になったのが李明博政権が打ち出した対北政策「非核・開放3000」だった。李政権で4年間にわたり青瓦台(大統領府)対外戦略秘書官を務めた金泰孝・成均館大学政治外交学科教授はこう振り返る。

 「北が核を放棄して経済開放を決断するなら400億㌦投資し、10年以内に北朝鮮の1人当たり所得を3000㌦にするよう教育や人材などの面でも支援するというのが骨子だが、要は何年後に核放棄するのかデッドラインを示すよう求めたもの。だが、北はデッドラインを示さなかった。核を放棄しないという答えだ」

 正恩氏が後継者に決まった翌年の2010年、北朝鮮は哨戒艦撃沈(3月)、延坪島砲撃(11月)という、韓国に対する二つの大きな武力挑発に踏み切った。正恩氏が「金正日総書記だったらあそこまで無理をしない武力挑発に積極的に介入した」(金教授)のは、リーダーシップ不足を補う実績を作り、宣伝する必要があったためとみられている。

 正恩氏による強気の武力挑発路線は、朴槿恵政権以降さらに拍車が掛かり、それは国連安保理による対北制裁決議など一層厳しい制裁を招いている。だが、安保理制裁では「北の対外経済活動の10%程度しか制限できず、北の戦略的判断を変えるには程遠い」(千英宇・元青瓦台外交安保首席秘書官)。

 制裁下の北朝鮮経済を国境という“裏口”から支えている中国についても、正恩氏は「中国が一番嫌がるのは北の核武装ではなく北の崩壊」(千元首席秘書官)と確信し、足元を見ている可能性が高い。今のところ正恩氏の強気は奏功している。

 もちろん正恩氏は国内外にさまざまな不安要素を抱え、いつ体制不安につながるか分からない。しかし、この5年間で「レジリエンス(困難を跳ね返す力)に長(た)けた指導者」(坂井隆・元公安調査庁調査第二部長)であることが立証されつつあるのも確かだ。

 中長期に向かおうとする金正恩統治に対し日本をはじめ周辺諸国はどう向き合うべきか。真剣に考えなければならない時だ。

(ソウル・上田勇実)