張成沢氏処刑、権力掌握の決定的契機に

検証・金正恩統治5年(中)

 金正恩氏が後継者に決定したことが分かると、西側諸国は指導者としての資質についてさまざまな角度から分析し始めた。韓国でも正恩氏のスイス留学時代のクラスメートや大阪に在住する母方の親戚などを訪ね歩き、その人物像に迫ろうとした。

張成沢

2013年12月12日、特別軍事裁判が開かれる法廷へと連行される北朝鮮の張成沢氏(右から2人目)=聯合ニュースが公開(AFP=時事)

 当時、情報機関系シンクタンクの国家安保戦略研究所で所長を務めていた南成旭・高麗大学北韓学科教授はこう振り返る。

 「聞き込みした内容を全て挙げてもらった後に私が出した結論は『トラの子はトラ』だった。残忍でありながら頭も悪くない。むしろ父親を上回る強さを感じた」

 まだ若く、経験も基盤も乏しい正恩氏が一人で全ての方針や政策を決定しているという見方に当初は疑問を投げ掛ける向きも多かった。だが、正恩氏を表面的に見て過小評価したとの反省が最近になって聞かれるようになった。

 金総書記死去を挟んだ2年半弱、青瓦台(大統領府)外交安保首席秘書官を務めた千英宇・韓半島未来フォーラム理事長はこう指摘する。

 「周囲にアドバイスする人が多かったとしても9割以上は本人の戦略的思考、権力に対する信念と動物的感覚からもたらされたものだと思う。側近が誰であろうと金正恩本人の選択はそんなに変わらなかったのではないか」

 正恩氏が権力を掌握できたと思われる要因の一つに、全ての組織と住民が従う「唯一領導体系」と呼ばれる行動規範に基づく統治システムの存在を挙げる識者も多い。

 金日成主席の側近の一人に数えられたある党幹部を父に持つ高位脱北者は「正恩氏は金正日時代に完成した統治システムの恩恵にあずかっている。金総書記は自分の死後も子孫を支え続けるシステムを築いたといえよう」と述べた。

 個人的資質と統治システムだけが正恩氏を支えたわけではない。権力基盤安定に決定的役割を果たしたのは、義理の叔父で正恩氏の後見人といわれた張成沢・党行政部長の処刑だったとみられている。

 北朝鮮のような独裁国家の政治文化には「ナンバー2は存在し得ず、無条件に正恩氏に忠誠を誓う臣下に徹してこそ生き残れる」(千理事長)。にもかかわらず張氏は初期の正恩体制が不安定であるとみて自分の権力基盤を手放さなかったといわれる。逆説的だが「ナンバー2たらんとした張成沢の処刑こそ反逆の芽を摘むという強いメッセージを発信し、権力安定の決定的契機」(南教授)となった。

 南北関係筋によれば、張氏処刑の現場には「1号写真」の専属カメラマンが急派されたという。「1号写真」とはすなわち金正恩氏を撮影した写真を指す隠語だ。これが事実なら、正恩氏は張氏処刑を自分の目で確かめることで、権力掌握への決意をさらに固めた可能性がある。

 金総書記の命日である今月17日、国営の朝鮮中央テレビは金総書記の追悼番組で「金総書記が全社会の金日成主義化を党の最高綱領としたように、今後は全社会の金日成・金正日主義化に向け闘争する」と宣言した。

 あえて独自色を表に出さず、住民が受け入れやすいように祖父と父の業績を称(たた)え、その路線を踏襲しながら統治しようという「金日成・金正日主義化」を改めて強調したのだ。正恩氏のしたたかさが見え隠れする。

(ソウル・上田勇実)