矛盾した北朝鮮「新年の辞」

宮塚 利雄山梨学院大学教授 宮塚 利雄

「統一」と対韓関係改善

歯の浮くようなスローガン

 北朝鮮問題を研究する者にとって、毎年1月1日に発表される「新年の辞」は必見(必読)資料である。「新年の辞」とは北朝鮮の最高権力者が前年度の事業の成果と、新年度の新たな事業や政策の遂行目標を発表するものである。金正恩政権になってから3度目の「新年の辞」となるが、金日成・金正日時代のものと同じで、前年度の事業については自画自賛のオンパレードであり、新年度の事業目標もこれまた例年と同じような内容で、陳腐極まりなく、ただ、表現だけがその時の時流によって変えられるだけである。したがって今年の「新年の辞」の内容にも期待はしていなかったが、前年度とはどこが違っているのか、何を強調しているのか、を注目して読んだ。

 30分にもわたる「新年の辞」を肉声で発表した金正恩第一書記は、全体の5分の1近くを費やして「統一と対韓国」関係について述べた。「南北統一」または「北南統一」は韓国政府と北朝鮮政府が何十年来も唱えてきた共通の国家目標である。それを今年は植民地支配から70周年という記念すべき年に当たるので、あえて「統一と対韓国」関係の改善を持ち出してきたのだろうか。しかも、今年は「われわれ式社会主義を南朝鮮側に強要しないし、これまでも強要したことがない」と言及した。

 これは一体どういうことか。北朝鮮側の南北統一方式は「韓国を赤化統一する」ことであることは、韓国側も十分承知している。しかも「雰囲気と環境が整えば、最高位級会談もできない理由がない」と述べ、南北首脳会談の可能性も表明した。しかし、この表明とは裏腹に、金正恩第一書記は韓国の朴槿恵大統領との会談よりも、ロシア訪問とプーチン大統領との会談が取りざたされている。

 国策の第一目標が南北統一(北南統一)ならば、南北の首脳はなぜ、すぐにでも会って統一実現のための交渉をしないのか。金正恩は「わが民族を二つに分断し、この70年間民族分裂の苦痛を与えてきた張本人である米国」とし、米国に朝鮮半島の分断の責任をなすりつけた。「ばかも休み休み言え」とはこのことである。何十年も韓国と同じことを言ってきたのに、いまだに統一できないのは韓国と北朝鮮双方の責任ではないのか。二つの国は本当に統一をする気があるのか。

 解放後に韓国で作られた「われわれの所願は統一」という歌も一時歌われたが、その後、歌われなくなり、また思い出したように韓国と北朝鮮の代表団が会同する場で歌われるようになったが、これも最近はあまり聞かなくなった。韓国の言う「吸収統一」、北朝鮮の言う「赤化統一」政策は、日本語の言う「善処します」と同じ類の言葉で、何もしないということを見繕うだけの話ではないのか。

 「新年の辞」では「核・経済建設の併進路線」についても言及している。核開発と経済建設とは、経済大国のなすべき業かと思っていたが、北朝鮮は「(この路線に従って)先端武器の開発に拍車をかけ、訓練を強化して万端の戦争準備を行うべき」と述べている。北朝鮮は枯渇した外貨を得るために、北朝鮮の男女の労働者を海外に「奴隷輸出」して、労働者の稼いだ外貨をせっせと本国に送金させている。

 また、最近発売された韓国の李明博前大統領の回顧録『大統領の時間』には、南北の首脳会談の前提条件として「トウモロコシ10万㌧、コメ40万㌧、肥料30万㌧や100億㌦を提供する」などとする「合意書」を提示した、との新聞報道があったが、「人民からの搾取」と「外国からのタカリ」体質だけで、「核開発と経済建設の併進」は可能なのか。

 そういえば金正恩は「マレーシアの某大学から“経済学名誉博士号”を授与され、クアラルンプールの北朝鮮大使館で授与式が行われた」ことを思い出した。授与した地元では「世界最貧国の一つである北朝鮮の指導者への授与に、卒業生は猛反発している」と伝えられたが。北朝鮮は「スローガンの国」である。北朝鮮の人民は誰もこのような大それたことが実現できないことは承知しており、「歯の浮くようなスローガンよりも、トウモロコシ、コメの一杯を恵んでくれ」と思っている。

 「新年の辞」から程なくして北朝鮮の朝鮮中央通信が「北朝鮮政府が、米国に対し、米韓軍が韓国で実施する今年の合同軍事演習を中止すれば、北朝鮮も米国が憂慮する核実験を“臨時に中止する用意がある”との考えを伝えた」という。これこそまさに「貧者の恫喝(どうかつ)」である。米韓が合同軍事演習の中止に応じないことを見越しての発言に過ぎない(もっとも穿(うが)った見方をすれば、核実験実施の口実を作る意思を表した、とも読み取れるが)。

 「新年の辞」は最後に「希望に満ちた新年2015年を迎え、全国の家庭に幸福が宿ることを願います」と言っているが、金日成時代から「新年の辞」で「わが朝鮮人民の最大の幸せは、白いご飯を食べて、肉(牛肉)入りのスープを飲み、絹の着物を着て、瓦葺(ぶ)きの屋根の家に住むこと」と言ったが、その約束はいまだ実現できていない。

(みやつか・としお)