生活向上への期待しぼむ -2019年脱北 韓国入国 ハ・ユル氏

金正恩統治10年-私はこう見る(3)

18年から市場が不景気に

ハ・ユル氏

ハ・ユル 1994年、北朝鮮咸興(咸鏡南道)生まれ。幼い頃に父が病死。学生時代、母が先に脱北し韓国に。19年に兄と共に脱北し、中国、東南アジア経由で同年11月に韓国入り。ハ・ユルは仮名。

 金正恩氏が後継者として登場した時、私はまだ学生だったが、無邪気にも「どうしてあんなに太っているんだろう」と内心思ったものだ。大人たちの話を聞いていたら、「姿形が金日成主席に似ている将軍様が誕生した」「若いのでわれわれの生活を良くしてくれるのではないか」などと話をしていた。

 しかし、時間がたつにつれて期待はしぼんでいったようだ。金正日も金正恩も同じだと考えるようになった。

 私自身、大学に進学しても母方の曽祖父が日本で病院経営をしていた時期があった関係で出身成分が問題視され、いい結婚相手を見つけることはできないと思い、地元の咸興で商売でもやろうと思った。母の支援を受け、2013年から市内の2階建て国営百貨店の一角を借り、衣服の小売りを始めた。脱北する19年まで続けた。

 金正恩体制になって生活が改善した実感は全くないが、建造物はたくさん造られた。咸興でも道路沿いにあった2、3階建ての建物が取り壊され、10階建てアパート(マンションに相当)が4棟ほど建てられた。全ての部屋は売りに出され、完売だった。物件一つ当たり4000㌦から7500㌦と、北朝鮮では少し高額だが、近年は金持ちが増えたため、アパートを建てても全部屋が埋まる。

 その代わり貧富の差は開いた。咸興で15年くらいから急増したのは20㌧の大型トラックを所有して物流をしたり、大型冷凍庫を購入して水産業をして金持ちになった人。あと鉱山の坑道も売買され、金の採掘で儲(もう)けた人もいた。しかし、金持ちはほんの一握りで、大半はコメもなくてトウモロコシを主食にしている貧しい人だ。

 チャンマダン(青空市場)では18年から景気が急に悪くなった。そこで商売をしていた女性たちに聞くと、1日にコメ1㌔売るのも難しいということだった。輸出ができなくなって景気が悪くなったということだった。石炭も輸出できず、価格が約4分の1まで下落した。不景気になり、みな1日の食事の回数を減らして凌いでいた。それが北朝鮮に対する制裁の影響だということは後で分かった。

 電力事情も悪かった。冬は全く電気が来ないことも。夏は1日1時間半くらいしか来ないし、それも断続的にだ。

 私は商売上、必須だということもあって12年に自分で携帯電話を購入した。一番安い190㌦のものを。小さい画面の下にキーボードがあるもの(フィーチャーフォン)で、1台につき通話は1カ月200分まで無料。文字メッセージは文字数に制限があるが、1カ月20件まで無料。経済的に使うため2台、3台持つ人もいた。

 私は恵山(両江道)より北方の白頭山に近い場所を通じて脱北した。中国の国境地帯に監視カメラが設置されている様子はなかったが、恐らく24時間体制で警備し、摘発するため警備兵が潜伏していたのには驚かされた。

 北朝鮮の住民たちはUSBメモリーに保存された韓国のドラマや映画を通じ、韓国の経済発展ぶりを知るようになったが、だからといってすぐ韓国に行こうとは思わない。現実を受け止め、北朝鮮で商売でもして成功し、少しでも豊かになりたいと考え、そのまま北朝鮮で生き続ける人が大部分ではないだろうか。(談)


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