ウズベクで遭遇した事件

金子 民雄歴史家 金子 民雄

静か過ぎた独立記念日
大統領危篤で空港に足止め

 ひとはみなそれぞれ独自の個性を持っているので、同じような人生を歩んでいても、みないろいろな体験をするようだ。中には妙な事件に巻き込まれることもある。私などそんな部類に入るようだ。

 ちょうど今から50年ほど前の1975年、中央アジア(トルキスタン)に旅することがあった。当時ここはまだ遠い国で旅も数日はかかるほど、はるかな国だった。ここに入るにはシベリアを経由してぐるりと大回りしなくてはならなかった。そしてソビエトの共産政権が支配していた所だった。ここは東は中国新疆省(当時)、南はアフガニスタンに接し、砂漠と草原にあってシルクロードの国として人々から親しまれ始めた頃だった。

 当時は中東方面も事件はなく、アフガニスタンも本当に静穏で、新疆方面の民族紛争もまずまずで動乱の気配もなかった。そこで翌年、今度はアフガニスタンを横断して、西のイラン、北のトルキスタン方面の旅を始めることにした。期待も大きかったし、旅は実にのどかで身の危険を感じることなどただの一度としてなかった。ところがこの2年後、突如として事態が急変してしまったのだ。何とソ連軍がアフガンに侵攻してきたからだった。これまでの平穏な天地はたちまち一変してしまい、平和なアフガニスタンは戦場と化してしまった。この混乱は何と10年以上も続いたのだが、91年12月、突如ソ連邦が崩壊してしまい、当然ながらソ連の統治下にあった中央アジアの国家も分裂して、もう誰にも将来を臆測することが不可能だった。どうやって国を維持していくか、統治者がいなくなってしまっては手が付けられない。

 ただしばらく前から、どうもソ連の政情がおかしくなっていたのは、おおよそながら予測はついていたのだが、まさかこれほど早く倒壊するとは誰にも分からなかった。そこで冬もそろそろ終わる翌年の3月に、まずモスクワとサンクトペテルブルクに行ってみることにした。国家が崩壊することはそう簡単なことでない。私は小学校3年生の時、日本が敗北した体験はしていた。ただ予想とは違ってロシアの町はどこも平穏そのもので、混乱も動揺の気配すら感じられなかった。ただかつての町のシンボルだったはずの巨大なレーニン像が、町人によって叩(たた)き潰(つぶ)されている光景が目についた。

 そこで今度はその足で南に当たるトルキスタンに行ってみることにした。シベリア経由でタシケントに入ると、町中は人々の活気のある姿が見掛けられ、動揺の気配など微塵(みじん)にも感じられなかった。むしろ庶民の様子は何か重い荷物から解放されて、ホッと一息ついているような無気力感というよりか、安堵(あんど)感が感じられた。ここからさらにずっと西方のトルクメニスタンに入った時、そこの住民たちが私を囲んで歓迎の意を表してくれたことには、驚くしかなかった。この時以降、中央アジアの五つの独立共和国、ウズベク、カザフ、タジク、キルギス、トルクメンは各々独立国家として共存していく。ただ国体を維持していくことは想像以上に大変なことである。

 これ以降も十数回はトルキスタンに行ったものの、もう期待も楽しみもなかった。ところが今年(2016年)8月末、友人たちから強引に誘われて1週間ばかりウズベキスタンに出掛ける羽目になった。サマルカンドもブハラもヒワも世界遺産に認定されたためか、町は奇麗になったというか、お人形の小屋掛けのようで、見るも不快になった。ところがここで予想すらしなかった事件が突発した。私の帰国予定の9月1日に、カリモフ大統領がどうやら危篤状態に入ったらしいというニュースだった。

 実は9月1日というのは、ウズベキスタンにとっての国家の祝祭日だったのだ。ウズベクの独立25周年に当たる日だったのである。しかし、町中は物音一つしない静謐(せいひつ)そのもので、まるで化け物でも出るような雰囲気だった。国も町の人たちも最も祝福されるべき人物への心配事があったのであろう。たまたま事故があったとかで真夜中になるまで飛行機の出ないタシケント空港に足止めされていた時、2日に大統領は死去されたのだ。

 ウズベク大統領の死は、これから中央アジアにさまざまな問題を投げ掛けることだろう。01年、中国とロシア、カザフ、キルギス、タジク、ウズベクが国境や治安についての上海協力機構を形成し、15年になるとさらにこれに印パが加わることになった。これについてはまた触れる機会があろう。

 ここでまたおかしな事件があった。ちょうどタシケントにいた時、知人の加藤九祚氏がウズベク入りしたものの体調を崩して、その数日後にテルメズで亡くなったとのことだった。8月、いつもの例で一杯やりましょうとのことだったが、事故があって中止となり、近く改めてお会いしましょうとのことだったが、これは果たされず、永遠のお別れとなってしまった。ウズベクはこれまで以上に、関わりの深い国になるのかもしれない。

(かねこ・たみお)