独のイスラム頭巾信教論議

小林 宏晨日本大学名誉教授 小林 宏晨

特殊なベルリン中立法

公務で全宗教の着用物禁止

 最近のドイツでは、信教の自由と国家の宗教的中立の関係をめぐる論議が深刻な問題となっている。この問題は同時にドイツ社会の約5%の少数派であるイスラム教徒の同化の問題でもある。この問題に関連して、ドイツ連邦憲法裁判所は、2015年の「イスラム頭巾禁止」判決で、イスラム頭巾の画一的着用禁止が信教の自由たる基本権の侵害を構成すると判定した。本稿ではこの判決に対するラント・ベルリン(ベルリン州)の対応について報告したい。

ベルリンで頭巾着用禁止不変

 連邦憲法裁判所の前記2015年「判決」後、ベルリン州行政は5カ月にわたり、ベルリン「中立法」に規定されるイスラム頭巾禁止規定と憲法裁2015年判決との法的整合性について検討した。その結論は、「中立法修正の必要無し」であった。つまりベルリン州中立法は、公的任務遂行における厳格な国家的中立を命じ、従って女性の教師・警官・判事に、依然としてイスラム頭巾の着用を禁じている。

 連邦憲法裁判所は、2015年判決でノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)学校法の類似的規定をイスラム頭巾の画一的禁止と見なし、違憲とした。これに対しベルリンの中立法はNRW学校法に類似してはいるが同一ではない。ベルリン中立法は、NRW学校法とは異なり、全ての信仰と世界観を平等に扱い、国家の中立並びに学校の平和の抽象的危険を根拠として、宗教的あるいは世界観的シンボルの着用を禁じている。

 従って連邦憲法裁判所判決は、ベルリン行政の見解によれば、ベルリン中立法規定に該当しない。曰く、ベルリン中立法規定は、全ての宗教及び世界観を平等に扱っており、全ての信仰者に対して、学校であれ、裁判所であれ、あるいは警察であれ、公的任務の遂行に際し、宗教的シンボルの着用を禁じている。それは、イスラム頭巾、キッパ(ユダヤ教徒の男性がかぶる帽子のようなもの)及び十字架に該当する。しかも私立学校、職業学校及び宗教授業で女性教師には教室でのイスラム頭巾の着用が許されている。

頭巾で平和に危険が及ぶか

十字架、キッパ及びイスラム頭巾を含め、ベルリンの公立学校では、ベルリン「中立法」により、教師に対し、全ての宗教的シンボルの着用が禁じられている。例外は、職業学校、公務研修生並びに宗教授業に過ぎない。

 イスラム頭巾を着用した原告ムスリム女性が小学校教師の採用に応募した。その際に原告の女性教師がイスラム頭巾を着用しない授業の遂行を拒否した。学校当局は彼女の採用を拒否した。

 ベルリン州は、決定の根拠としてベルリン中立法規定を挙げた。同法第2条によれば、公立学校教師は、如何なる明白な宗教的シンボルも着用してはならない。

 採用を拒否されたことを根拠として、ムスリム女性はベルリン労働裁判所に訴え、「許されざる差別」に対する損害補償3カ月分を請求した。

 ムスリム女性教師(原告)は、連邦憲法裁判所の「授業における宗教的表明の画一的禁止がなかんずく、憲法で保障されている宗教の自由に違反する」とする憲法裁2015年判決を援用した。曰く、学校の平和に対する具体的危険が初めて女性教師に対する宗教的シンボルの着用禁止を正当化する。連邦憲法裁判所が具体的検証を要求したにも拘らず、女性教師としての採用が画一的に拒否されたが故に、原告が差別されたのである――。

 諸ラント(州)の中で最も厳格な法律状況の維持に対するベルリン行政の根拠付けは、連邦憲法裁判所の判決がNRW学校法のみに該当するとの見解である。曰くベルリン中立法は、はるかに詳細であり、しかもNRW学校法の諸規定とは比較できない。例えばNRW学校法では明示的に学校における「キリスト教的及び西洋的諸伝統の提示」、つまり、十字架付きペンダントの着用も容認されている。

 この点について連邦憲法裁判所は、授業中のイスラム頭巾着用が禁じられているムスリム女性教師(原告)に対する差別として批判した。これに対し、ベルリン中立法では十字架であれ、キッパであれ、あるいはイスラム頭巾であれ、あらゆる義務教育前期校及び後期校における宗教的表明を禁じた。

憲法裁へ申し立ての蓋然性

 連邦憲法裁判所2015年判決後、ベルリン州議会のドイツ社会民主党(SPD)院内会派は、議会法律問題研究サービスにベルリン中立法の憲法適合性についての鑑別書の提出を求めた。15年6月に提出された鑑別書は、連邦憲法裁判所の「イスラム頭巾判決」後、ベルリンにおけるイスラム頭巾、キッパあるいは十字架が将来「容認されるべき宗教的衣服あるいはシンボル」と考えられると結論付けた。

 なお原告の訴えは、ベルリン労働裁判所によって4月14日付判決で棄却された。事案の上告は可能であり、最終的には連邦憲法裁判所への異議申し立ての蓋然性も高い。信教及び告白の自由と国家の中立をめぐる対立はこれからも継続することが予測される。

(こばやし・ひろあき)