独大統領のアルメニア人追悼

小林 宏晨日本大学名誉教授 小林 宏晨

明確に「集団虐殺」の見解

政治解決を要する事実の承認

 ガウク独大統領は4月23日、100年前(1915年)の第1次世界大戦中にオスマン帝国がアルメニア人民に対して行ったとされる虐殺事件に関する追悼講演の中で、オスマン帝国の行為を明確に「集団虐殺」との見解を示した。

 曰く、……我々は、この時点で、数十万の計画的かつ組織的虐殺行為の犠牲となったアルメニア人民を思い起こす。老若男女は無差別に追放され、死の行進を強いられ、保護なく、食料なく、草原や砂漠に追い払われ、生きたまま火あぶりにされ、打ち殺され、銃殺された。アルメニア人に対するこの計画され、計算された犯罪行為は、彼らがアルメニア人であるとする唯一の根拠をもって行われた。アルメニア人の命運は20世紀を特徴付ける大量殺戮(さつりく)、人種的洗浄、大量追放かつ集団虐殺のためのモデルとなっている。

 この犯罪は戦争の影響下に行われた。しかも戦争はこの犯罪行為の正当化のために供せられた。かくして、この行為は第1次世界大戦中にアルメニア人に対して、しかも同世紀中に他の場所で、現在に至るまで宗教的及び民族的少数派に対して行われている…。

 …我々はアルメニア人の運命が忘れ去られないために迫害の事実を思い起こす。この追憶は、全ての人間の売り渡し得ない尊厳への記憶のためである。我々は、我々自身のためにも犠牲者を思い起こす…。

 …しかしながら犠牲者への記憶は、その行為者を指摘しない限り、中途半端なものに留まる。行為者なしには犠牲者もない。行為者は、オスマン帝国の権力者及びその手先で、一般的には人種的あるいは宗教的動機からする集団虐殺に際して、自らの行為の正しさを熱狂的に確信した行為者の全てに他ならない。発生途上のトルコのイデオロギーは種族的に同質的、宗教的に統一された国民国家の中に崩壊しつつあるオスマン帝国における多様な諸民族及び諸宗教の共存及び並存の伝統の崩壊に対する対案を求めた…。

 …しかし、統一的及び純血イデオロギーは、しばしば排除と追放及び最後の帰結として殺人的行為に導く。オスマン帝国ではアルメニア民族が犠牲となった集団虐殺的ダイナミズムが展開された。我々は100年前に起こったことをどのように表示すべきかについての論議の渦中にある。しかし、この論議は、単なる概念の区別に終わらない事実に注目すべきである。とりわけ重要な点は一民族の計画的殲滅(せんめつ)が問題となっていた事実である…。

 …我々は思い起こすことによって、現在生きている何人も被告席に置くものではない。かつての行為者は既に現在生きてはいないし、その子供達や孫達には責任を課することができない。しかし、犠牲者の遺族達が正当にも期待が許される事項は、歴史的事実と歴史的責任の承認である。全ての個人と全ての少数派の生命権と人権を尊重しかつ保護する政策に義務付けられていると感ずることは、今日生きている者たちの責任に属する。我々は、この歴史的事実を否定、排除、あるいは過小評価することによっては責任から逃れることはできない。ドイツは部分的には恥ずべき程遅くナチス時代の犯罪、とりわけ欧州のユダヤ人の弾圧と殲滅の犯罪を追憶した。そこで我々は、留保なく承認しなければならない行為者の責任と適切な追憶に対する子孫の責任を区別することを学んだ……。

 ガウク・ドイツ連邦大統領によるオスマン帝国のアルメニア人虐殺の追憶に関する見解の紹介はこの程度に留め、その内容の評価を試みたい。

 第一に、歴史上の実際の行為者の責任と子孫の追憶の責任、そして犠牲者の遺族の歴史的事実の承認への請求が明確に区別されている。確かに直接行為者の責任と子孫の責任の分離は極めて明確に提示され、それ自体は反論の余地がない。しかし再統合後のドイツ連邦共和国がナチス第三帝国の後継国家である事実を承認する限り、責任と賠償問題は必ずしも責任分離をもっては解決し得ない。その証拠に、現在でも、ギリシャやイタリアにおけるナチスの残虐行為に対する補償問題が続いており、政治的解決が求められている。

 第二に、現在では、第2次世界大戦後、ニュールンベルク軍事裁判によって集団虐殺が国際法的犯罪(人道に対する犯罪)として糾弾され、その後1948年の集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約)の締結により、しかも1998年の国際刑事裁判所に関するローマ規程により、集団虐殺が犯罪として訴追・判決が可能となった。

 しかし、上記の判決及び諸条約は、実質的にオスマン帝国によるアルメニア人虐殺には適用できない。それでもなお虐殺の事実とその承認が重要視されている根拠は、将来の繰り返しの回避に力点が置かれている所にあると推定される。

 この問題についてドイツ連邦議会が極めて熱心に取り組んでいる事実が注目される。これに対し、ドイツ連邦政府は、トルコとの関係、連邦領域内におけるトルコ系住民及びアルメニア系住民に配慮してか、極めて冷静な対応をしている。

(こばやし・ひろあき)