パリのテロと相対主義の罠
蛮行はイスラムと無縁
仏国民の大義と伝統脅かす
フランス・パリにある風刺新聞社「シャルリー・エブド」がAQAP(アラビア半島のアルカイダ)の意を受けたとされるテロリストによって襲撃された一件は、襲撃犯が後に起こした人質籠城事件に併せ、フランス内外に甚大な衝撃を与えた。事件後、パリ中心街で開かれた反テロ「共和国行進」には、フランソワ・オランド(フランス大統領)や世界50カ国首脳を含めて、推計160万の市民が参集した。それは、フランス・メディアの伝えるところによれば、「1944年のパリ解放以来の熱気」であった。フランス国民議会では、第1次世界大戦勝利以来となる議場内での国歌斉唱が行われた。
この種のテロを前にして注意すべきことは、「欧米キリスト教世界もイスラム教世界を散々、攻撃したではないか…」という理屈で「どっちもどっち」論を展開する相対主義の思考に陥らないことである。
AQAPがビデオ映像で出した犯行声明によれば、事件は、シャルリー・エブドがムハンマド(イスラム教預言者)を侮辱した風刺画を載せたことへの「復讐」であるとのことである。シャルリー・エブドの風刺画に嫌悪感を覚える向きがあろうとは、容易に推測できる。しかし、ヨーロッパ、特にフランスには、古代ギリシャ・ローマ以来の「諷刺」の伝統がある。たとえば、ユウェナリスが古代ローマ帝政期に著した古典『諷刺詩』中、「知識人の惨めな生」という詩には、筆者もまた、どきりとさせられるものを感じた。
「…詩を書きたいという、うずうずとした不治の病いにかかって、多くの者は病める心を抱いたまま年老いていくのである」。
シャルリー・エブドの風刺画というのも、この「諷刺」における永き伝統を継いだといえる。そして、フランス国民が「ジュ・スイ・シャルリー(私はシャルリーだ)」の合言葉の下に護ろうとしたものは、「表現の自由」という大義だけではなく、「諷刺」という表現様式に反映された永き伝統であったといえよう。こうした「大義」や「伝統」が脅かされたという意識に留意しなければ、フランス社会が示した激越な反応の意味を理解することは、難しいであろう。
AQAPにおける「復讐」の論理も、実は奇怪なものである。そもそも、「目には目を、歯には歯を」という言葉で知られるハンムラビ法典の「復讐」の考え方は、旧約聖書にも影響を与えたけれども、そのイスラム教に対する影響は、『コーラン』書中の次のような記述に垣間見ることができる。
「生命には生命を、目には目を、鼻には鼻を、耳には耳を、歯には歯を、そして受けた傷には同等の仕返しを」。
確かに、「目には目を(それ以上のことはしない)。歯には歯を(それ以上のことはしない)」という考え方は、イスラム教にも踏襲されているのである。そうであるとすれば、シャルリー・エブドの「風刺」に「暴力」をもって復讐したAQAPの論理は、イスラム法の趣旨からしても相当に逸脱している。もっとも、「目には目を」の復讐に走るのではなく、「赦す」ということがイスラム教で奨励される重き徳目の一つである。イスラム教の衣装を纏(まと)いながら安易に「暴力」に走る集団は、多くが「イスラム過激派」と一般に称されるけれども、その行動原理は、本当にイスラム教の趣旨に沿っているのか。実際、『共同通信』配信記事によれば、事件直後、エジプトにあるイスラム教スンニ派最高権威機関「アズハル」は、シャルリー・エブド襲撃を「犯罪的な行為だ」と非難する声明を発出し、「イスラムはいかなる暴力も拒絶する」と強調したとのことである。
故に、AQAPにせよ、さらにはISIL(イラク・レバントのイスラム国)やボコ・ハラムにせよ、こういう手合いをイスラム教に関連付けて「イスラム過激派」と呼ぶのは、止めた方がいいと思われる。イスラム教の影響を受けたとはいえ、こういう手合いを「イスラム過激派」と呼ぶのは、チベット仏教の影響を受けたらしいオウム真理教を「仏教過激派」と呼ぶようなものであろう。それは、「狂信暴力集団」と呼ぶべきか。それとも「イスラム僭称(せんしょう)暴力集団」と呼ぶべきか。その双方でも相応しいであろう。
かくして、相対主義思考の罠(わな)に落ち、こうした狂信暴力集団の蛮行に対する批判を曖昧にするならば、「自由」の価値に対する日本の人々の信念に疑問符が付く。キリスト教世界に対する「弱者」としてのイスラム教世界というイメージを投射させつつ、日本特有の「判官贔屓(びいき)の心理」を反映させた議論に走ることは、率直に有害であろう。兎角(とかく)、日本では、こうした「判官贔屓」言説は、どのような話題においても披露されるけれども、それは、怜悧(れいり)を旨とする国際情勢分析とは何の縁もないものなのである。
(さくらだ・じゅん)