理想通らぬ弱肉強食の世界
戦争回避は防備が必要
宗教問題運ぶ移民受け入れ
皆様はどのように新年を過ごされただろうか。私は今年の正月は日本の優れた文学に接したいと思い、本屋で見つかった「あらすじで読む日本の名著」という本を夢中になって読んでいた。この本は狭山ヶ丘高等学校の校長の小川先生が日本の名著のあらすじを同校の先生方に協力してまとめたものである。先生は今の日本の若者の文学離れと国語力の低下を憂えて、この本を編集したと前書きにある。
私は大学で名著を読むという2年生のゼミを担当しており、マキャベリの「君主論」、ジョージ・オーウェルの「動物農場」そして矢部貞治の「政治学入門」を使って授業を進めている。勿論、私は毎日何かを読んでいるが、考えてみると学生たちの国語能力の低下だけでなく私自身も政治関係ばかりを読んでいるため、想像力、表現力がだんだんと偏り、乏しくなっていることを痛感している。
そのためなんとか改善したいと思い、本屋で日本文学関係を探して目に付いたのは前述の本であった。小説や作者たちについての感想は割愛するが、結論から言って日本文学の深さと、時代を超えて今日の人々のためになる本であったということだけ申し上げたい。
特に国木田独歩の「牛肉と馬鈴薯」という本は日本国民、特に政治家とジャーナリストに読んで欲しいと思った。この本は明治時代の7人の紳士たちの人生観や世界観についての議論を通して当時の人々の風潮について語られている。ここでは理想ばかりを追い、現実離れした人々のことを馬鈴薯党、一方の現実主義の人々を牛肉党と区分けしている。双方がそれぞれの立場で各々の正当性を主張している。私が痛感したのは理想主義者に対して現実主義者から「理想は空想だ。痴人の夢だ」「世間から隠遁(いんとん)するよりもむしろ世間と戦うべきだ」というあたりに特に共感した。勿論、理想が必要であることは間違いないし、人間にとって夢も大切である。しかし現実はそんなに甘くはない。
今年の成人の日に、ある新聞の社説で戦争をしない人間になれという論調の記事を見て、まさに日本のインテリたちはこの新聞で表されているような幻想で生きている人々が多いと思った。戦争は相手なくして決して起きないし、現在の世の中は残念ながら弱肉強食的な本質がまだ色濃く残っている。いくら日本人が憲法第9条を題目のように唱え、平和を祈ったとしてもそのような平和な社会は実現できないどころか、常に獲物を狙っている周辺の国からは都合の良い餌食にしか見えないだろう。
勿論、私も身をもって戦争の悲惨さを味わった人間として、戦争を好まないし、戦争を回避できればそれに越したことはない。だが、戦争を回避する唯一の道は、相手から簡単に狙い撃ちをされないための警戒心と防備が必要である。この戦争という言葉に関しては、今回フランスで起きたシャルリー・エブド紙事務所襲撃に対するオランド大統領の戦争宣言に世間が何も疑問を感じないところも不思議に思う。
当然、テロ行為そのものが許されることではなく、特に非武装の人間に対して暴力で物事を解決しようとする行為は良識に基づいて、私も決して肯定するつもりはない。しかし今回のテロ行為の原因にローマ法王以外どこからも厳しい批判が上がらないことが納得できない。
私は、中国共産党による圧制のもと完全に言論や表現の自由を奪われているチベットやウイグルの現状を見て、言論の自由、表現の自由、信仰の自由の尊さは誰よりも痛感している者の一人である。だが、今回のフランスの週刊紙の風刺画は他の民族や神を冒涜(ぼうとく)する行為であり、事件後にも同社が風刺画を掲載したことは、自由の濫用以外のものではないと考える。
戦争をしない人間を育てるためには、戦争の要因も含めて、今の世界の現実を国民に伝えることの方が、重要ではないかと思う。マスコミは今の日本を取り巻く国際環境、特に日本の主権を侵すような事実を国民に知らせ、戦争を回避するためにも、自国がやるべきことは何かということを真剣に議論し、備えることが急務である。
この事件でもう一つ私が日本国政府と国民に考えてもらいたいことは、今、フランスなどヨーロッパの国々が抱えている移民問題である。長い間西洋の国々は資本主義経済を支え、安い賃金で働くため移民を受け入れ、そして景気が悪くなれば、彼らを社会のダニだの、虫だのと呼んで邪魔にし、ポイ捨てすることに多くの人々の怒りを買っている。
日本も今、経済成長を支えようと少子高齢化の問題を解決するため、諸外国から勤労者を集めようとしている。当事者にとってはこの豊かで自由な国で働けることは有難いことに違いない。私も一人でもアジアの人々が幸せになれば至上の喜びである。だが、準備も計画もなく、一時しのぎで人々を受け入れるのであれば、日本は先々とんでもない問題を抱えることになるのではないかと危惧している。特に宗教を軽んじている日本は、信仰を大切にしている人々の自尊心を尊重することを前提に考えることが大切である。