独へのナチス犯罪補償請求
伊で私人と国家の争い
続く第2次大戦の戦後処理
来年(2015年)は第2次世界大戦後既に70年となる。我が国では依然として「慰安婦問題」、「靖国神社参拝問題」、「領土問題」が国民の心理的負担となり続けている。ドイツと日本では、その発生要因が極めて異なっているとしても、「戦後の処理」と言う意味では類似性が見られる。
イタリアの補償請求 1944年6月29日「ヘルマン・ゲェーリング師団」所属のドイツ部隊がイタリア・パルチザンによる攻撃(ドイツ兵4名死傷)への報復としてトスカーナ地方の都市チビテラで250名の無抵抗の民間人を銃殺した。40年後、犠牲者の遺族は、イタリアの裁判所にドイツ国家を相手に補償請求の訴えを起こした。強制連行されドイツの強制収容所で拷問下に強制労働させられたルイギ・フェリニも共同訴人に数えられた。訴人は2008年イタリア最高裁で勝訴した。曰く、ドイツは国際法と人権を侵害した。従って被害者(及びその遺族)は個別的に補償請求権を有する。
ギリシャの補償請求 ギリシャも犠牲者の遺族がドイツで訴訟を開始した。なお1944年6月10日デルフィの近郷ディストモ村でドイツのヴァッフェンSS部隊は、無抵抗の女子供老人218名を射殺した。訴訟はドイツの裁判所でも、欧州人権裁判所でも成功しなかった。裁判所の論拠は、国家の「免責特権」にあった。つまり、国際法原則によれば、「自然人」の訴えに対し国家は「免責特権」を有するのだ。しかし、ディストモ訴人はギリシャでは法的に成功した。とは言っても完全勝利ではなかった。ギリシャの最高裁は,訴人に2800万ユーロの補償を決定したが、ドイツ政府は支払いを拒否した。裁判所によるギリシャにあるドイツ不動産の強制競売措置は、ドイツ政府の要求に応じたギリシャ政府の介入によって失敗した。
イタリアの有利な判例を聞きつけたギリシャの訴人は、イタリアの裁判所に訴えた。イタリア最高裁は、ディストモの遺族に補償請求権を認め、しかもイタリアにあるドイツの不動産を担保にする法的可能性も示唆した。しかし、ギリシャ訴人によるコモ湖のドイツ所有のヴィゴニ宮殿競売の試みは、メルケル独首相の要求に応じたベルルスコーニ伊首相の介入によって失敗に帰した。更にドイツ政府は、08年末、イタリア最高裁の判決が国際法に適合するか否かについての確認を求めて国際司法裁判所に提訴した。
国際司法裁判所の判決 2012年2月の裁判では究極的に以下の二つの事項、つまり人権と国家主権の優先順位が問題となり、結局は国家の主権(独立)に優先権が与えられた。具体的には、1943年9月から45年5月までのイタリアでのドイツの占領期間中に行われた犯罪に対する訴えが重要であった。訴人はドイツに対する損害賠償判決を求めたのだ。視点は同時に私人が一国の裁判所で他国に対して訴えをすることが許されるか否かの問題に向けられた。判決は、ドイツ側に有利な結果となった。曰く、イタリアの諸裁判所は、ドイツ国家の免責特権を承認せず、しかもこれによって自らの諸義務を遂行しなかった。
イタリアの破棄院は、44年6月の民間人200余名の殺害に対する補償を決定することによって人権を国家主権の上に位置付けた。しかし国家の免責特権は国際法の原則であり、そこでは私人が一国の裁判所で他国に対して訴えを起こすことが許されない。
しかもドイツ連邦共和国は、既に1961年の協定に基づいてイタリアに対しナチスの犯罪の補償の名目で4000万マルク支払っている。更にドイツは、1990年の東西ドイツ統合に際して、「記憶、責任及び未来基金」を設立し、東欧での強制労働への補償を行った。
国際法学の立場 なお国際法学の立場からしても、国家の免責特権の否定は、国家間の交流の著しい阻害要因と成り得る。つまり、私人が何時でも国家に対する訴訟が可能になれば、国家間の交流は著しく阻害される危険が高まる。つまりイタリア裁判所によるナチス犯罪の犠牲者へのドイツの補償義務判決も、補償遂行を目的とするドイツの不動産の差し押さえも違法である。
イタリア憲法裁判所の判決 2014年10月22日イタリア憲法裁判所は、これまでナチス犯罪に対する補償の訴えを阻止してきた規定がイタリア憲法に違反すると判定した。つまり、ナチス犯罪のケースでは他の諸国の私人の訴訟に対する国家の免責特権が有効でないと結論づけられたのだ。
その論拠として憲法裁判所は、戦争犯罪と人道に対する犯罪の場合に、国際法的に承認されている国家の免責特権が排除されると主張している。従って、ナチス国家の後継国としてのドイツ連邦共和国は、ナチス犯罪に対する補償請求訴訟の対象となる。イタリア憲法裁判所によれば、ナチス犯罪の如き重犯罪への補償請求の訴えを阻止する規定は、イタリア憲法の二つの条項に違反する。前者は第2条の人間の不可侵、後者は第24条の裁判に訴える権利である。
ともあれ、イタリア憲法裁判所の判決は、法の平和には当面貢献できないことは明白である。原則として、私人の訴えに対する国家の免責特権の承認下で、両国間の理性的交渉による解決が望まれる。
(こばやし・ひろあき)






