台湾で進む「去蒋化」
拓殖大学海外事情研究所准教授 丹羽文生
今、台湾では2017年末に施行された「移行期の正義促進条例」に基づき、行政院の下に設置された「移行期の正義促進委員会」が中心となって、蒋介石の偶像化を一掃する「去蒋化」が進んでいる。国共内戦に敗れて中国大陸から台湾に逃げ込んで来た蒋介石率いる国民党政権が、戒厳令下において反体制派に対して行ってきた政治弾圧や迫害を検証すると同時に、こうした「白色テロ」の被害者の名誉回復を図り、権威主義的なカラーを消し去ろうというものである。
中でも標的にされているのが蒋介石の銅像である。移行期の正義促進条例では、その撤去の義務化を謳(うた)っている。かつて、台湾には立像、胸像問わず、神格化された蒋介石の銅像が、あちらこちらで散見された。李登輝政権以降の自由化、民主化の流れの中で、徐々に目立たなくなっていったが、今でも学校や公園、ロータリーに1000体ほど残っている。
1927年5月に蒋介石を初代校長として中国大陸の南京で創設された南京国民政府中央党務学校を源流とする国立政治大学でも、キャンパス内に設置されている蒋介石の銅像2体のうち、「中正図書館」の玄関正面にあった座像が姿を消した。「中正」とは蒋介石の本名(=蒋中正)である。蒋介石夫人の宋美齢が設立した児童養護施設「台北市私立華興育幼院」に移されたらしい。
今年2月には裏門付近にある蒋介石の騎馬像が壊されるという事件も起きた。蒋介石には「永久名誉校長」の称号が与えられているそうだが、学祖でありながら、尊敬どころか憎悪、あるいは嘲笑の対象となっているようである。
過日の台湾訪問の折、撤去によって行き場を失った蒋介石の銅像の一部を集めた「慈湖紀念雕塑公園」(桃園市大渓区)を訪ねた。台北市内から電車とバス、タクシーを乗り継いで3時間近く。実に辺鄙(へんぴ)な場所にある。
どこもかしこも蒋介石だらけ。さまざまなポーズの銅像約300体が立ち並ぶ。まさに蒋介石信仰の総本山とも言えよう。
何とも不気味で些(いささ)か鳥肌が立った。パンフレットには「ここは世界で唯一の蒋介石個人の銅像のみを集めた記念公園です」とあるが、蒋介石だけでなく、長男の蒋経国、「中華民国」の国父とされる孫文の銅像も何体か見受けられた。近くには、最後まで「大陸反攻」を諦めず、中国大陸での埋葬を遺言とした蒋介石の遺体の仮安置所「慈湖陵寢」もある。
あまり知られていないが、実は日本にも蒋介石を顕彰する事物が存在する。「蒋公頌徳碑」(神奈川県横浜市)、「以徳報怨之碑」(千葉県いすみ市)、愛知県額田郡幸田町には蒋介石を祭神として祀(まつ)っている「中正神社」なるものまである。千葉県市川市にある日蓮宗大本山正中山法華経寺の境内にも蒋介石の胸像が立っている。700年以上の歴史を有する由緒ある寺院で、1972年9月の日本と台湾との断交を憂いた当時の住職が建てたらしい。
これらの事物の背後には、第2次世界大戦に敗北した日本に対し、戦勝国たる「中華民国」の蒋介石が、日本への報復を戒め、賠償放棄をはじめ、いわゆる「以徳報怨」なる寛大な措置を取ったことへの感謝の念が存在する。これにより戦後、多くの日本人は、蒋介石を「東洋道徳の範」の如(ごと)く敬仰し、一種の「蒋介石神話」が形成されていった。
しかしながら、この「以徳報怨」は、純粋な日本への善意、好意ではなく、アメリカから見捨てられつつあった蒋介石が、その代わりとして日本を抱き込もうと仕組んだ策略だったとの見方もあり、事実関係を含め、今では評価が大きく分かれる。それでも特に日本の保守派と呼ばれる人々の中には未(いま)だ蒋介石を慈悲深き「聖人」と讃(たた)える向きもある。
終戦から1年半後の1947年2月28日、国民党政権による台湾の民衆に向けた残忍極まりない無差別殺戮「二・二八事件」が発生した。「白色テロ」の引き金となった事件である。今日の台湾では一般に蒋介石は、その「元凶」と見做(な)されている。日本人も、このような台湾社会の変化を直視する必要があるだろう。