カンボジア、強権与党独走の総選挙

 今月29日のカンボジア総選挙まで1週間余りとなった。長期政権を維持してきたフン・セン首相は、前回躍進した最大野党を解散に追い込み、場外へと追い出した。与党に対抗できる有力野党はなく、政府に批判的なメディアも強権を使って閉鎖に追い込んだ。総選挙は与党圧勝の独走態勢にある。フン・セン政権のなりふり構わぬ強権指向は、中国という強力な後ろ盾を得ているからだ。
(池永達夫)

野党や批判的メディア潰す
中国後ろ盾の仮面民主主義

 29日実施の総選挙は、123議席の国民議会(下院)を争う5年に1度の選挙。覇を競うのは20に上る登録政党だが、実力のある政党は与党カンボジア人民党(CPP)と与党寄りのフンシンペック党ぐらいで、あとはいずれも弱小軍団だ。

フン・セン首相

フン・セン首相(EPA時事)

 下院改選前の議席は、ほぼCPPとフンシンペック党が占めている。フン・セン政権は2年前、全議席の約半数に迫る55議席を持つ野党カンボジア救国党(CNRP)を解散に追い込んだからだ。同党の有力政治家118人は5年間の政治活動禁止を命じられ、議席はフンシンペック党などに割り振られ、フン・セン政権は数の上で磐石の政治基盤を構築していった経緯がある。

 フン・セン政権を正面から批判しているのは草の根民主党(GDP)だが、GDPの創設メンバーである政治評論家のケム・レイ氏は2年前、何者かに射殺された。その暗殺事件もうやむやのまま、闇の中に葬り去られたままだ。

 4月にはカンボジア南部シアヌークビルで野党・民族統一戦線の党首である元第1首相のノロドム・ラナリット王子(74)が乗っていた車が、対向車のタクシーと正面衝突。ラナリット氏は重傷を負い、同乗していたオウク・ファラ夫人(39)は搬送先の病院で死亡した。

 ラナリット王子は、ノロドム・シハヌーク前国王の次男で、ノロドム・シハモニ国王の異母兄。7月に予定されている総選挙を前に、同州の支援者に会いに行く予定だったとされる。ラナリット王子の交通事故は、白色テロの疑惑も浮上する。

ラナリット元第1首相

2015年1月19日、プノンペンで、フンシンペック党の党首に復帰したときのカンボジアのラナリット元第1首相(右)(AFP時事)

 かつてカンボジアではポル・ポト政権下、200万人以上とされる国民の大虐殺が行われた悲惨な歴史がある。背後にあったのは、中国の文化大革命の影響だった。

 文革そのものは大躍進政策で失敗した毛沢東が政治的主導権を取り戻すための権力闘争だったが、ポル・ポト首相(当時)は純粋に毛沢東の建前を信じ、知識人を葬り去ったのだ。

 フン・セン首相は、ポル・ポト氏のような観念に溺れる人物ではなく、国際関係の力学と風向きを緻密に読み込みながら動く世渡り型の政治家だ。

 カンボジアは内戦終結後、民主主義国家へと舵(かじ)を切った。ソ連崩壊で最大の後ろ盾を失ったカンボジアは、民主主義国家になることで国際社会からの支援金を受け取るなど、国家を維持していく予算を獲得していった。そのため当初、欧米諸国からの注文には素直に応じていく柔軟性があった。

 だが、今回もカンボジア政権関係者が米国から制裁を受けているものの、フン・セン政権は「やるならどうぞ」といった涼しい顔だ。圧倒的な資金と武器を依存している中国をバックにして微動だにしないのだ。

 国民の内発的意思から民主主義国家を選択したわけではない、カンボジアの仮面民主主義国家の難しさがここにはある。