カザフ語をローマ字表記に、露の影薄まるカザフスタン

影響強める中国に傾斜も

 旧ソ連構成国だった中央アジアのカザフスタンはこのほど、国際化のためカザフ語のロシア文字(キリル文字)表記をやめてローマ字に変更することになった。ナザルバエフ大統領は表記変更の具体的なスケジュールを提示した上で、2025年にはローマ字に完全移行すると宣言。カザフスタンでのロシアパワーが希薄化する中、それを埋めるように中国の影響力が増すことが懸念される。(池永達夫、写真も)

カザフスタン国際貿易センター

ホルゴスの経済特区。建物は中国・カザフスタン国際貿易センター

 ロシア紙・独立新聞はカザフ語のローマ字化政策を受け、さっそく「ロシアへのシグナル」と指摘した上で、識者の話として、「(カザフで約2割を占める)ロシア系住民に国外脱出の機運が高まる」「(ローマ字を使う)トルコ語世界へのカザフの接近を意味する」と警戒感をあおった。

 中央アジアの支配民族だったロシア人の転落ぶりには心が痛くなるほどだ。

 1945年の第2次世界大戦終結後からソ連崩壊の1991年まで、米国と世界を二分したソ連。その超大国のエリート意識は、ロシア本国より、中央アジアにおけるロシア人の方が格段に強く持っていた。

 しかし、1991年のクリスマスの12月25日にソ連は崩壊。以後、次々に中央アジア諸国は独立し、カザフ共和国はカザフスタン(カザフの土地)と名を変えた。公用語はカザフ語とロシア語の二つの言語となり、巷(ちまた)では標識や表札の多くがカザフ語で併記されるようになり、カザフ語のラジオやテレビ番組が始まり、カザフ語の学校教育も始まった。

 以後、カザフスタンでは民族教育が盛んになり、町の広場ではレーニンやスターリンの銅像が中世の英雄のものに取り替えられた。他の中央アジアでも同様で、ウズベキスタンでは早々と公務員試験にウズベク語を必須科目として加えている。

 ロシア語はまだ公用語の位置付けだが、多少の便宜のためでしかない。ロシア人はこの土地の主役からマイノリティーに転落した過酷な現実と闘わなければならなくなったのだ。

 カザフスタンではロシア本国への移住を希望するロシア人が後を絶たない。ロシア人が中央アジアで生きていくために、必要なのは民族共生の理念ではない。家から一歩、外に出たらロシア語は使えないという現実を受け入れる覚悟だ。それを拒むなら国外に出て行くしかない。

 だが、出て行こうにも誰もができる話ではない。老いて、ロシア本国に身寄りもなければ、家屋敷を売り払い、仕事をやめてまで、何の保証もない新天地に未来を託す冒険には二の足を踏まざるを得ないからだ。カザフとは「放浪する自由の民」を意味するが、主人の立場を失い“放浪”を余儀なくされつつあるロシア人の惨状がここにはある。

 なお、希薄になりつつあるロシアパワーの穴埋めをするかのように影響力を強めているのが中国だ。

 カザフスタンのナザルバエフ大統領は昨年夏、上海協力機構(SCO)首脳会議に出席するため首都アスタナを訪問した習近平国家主席と会談し、「両国関係は最高レベルだ。何一つ問題がない」と良好な関係を強調した。

 ユーラシアの東西を陸路と海路で結ぶ習氏の「一帯一路」構想は、習氏が4年前にカザフスタンを訪問した際に初めて明らかにした経緯もある。

 原油や天然ガスの資源に富むカザフスタンながら、近年の資源価格の低迷で成長は鈍化傾向にある。海外からの投資を呼び込みたいところだが、欧米から制裁を受けているロシアからの多くの投資を期待するのは難しい状況にある。

 一方、過去10年のカザフスタンへの投資額が139億㌦(約1兆5000億円)に上る中国への期待は高まるばかりだ。広大な国土を持つカザフスタンに中国人移植者が入り、農地を開墾するプロジェクトも動きだしている。また、カザフスタンと中国を結ぶホルゴスには「経済特区」が新設され、自由貿易の拠点として整備されつつある。