チベット亡命政府、「高度な自治」獲得目指す
センゲ首相が再選
インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府は4月27日、3月20日に投票が行われた首相選の結果を発表。現職のロブサン・センゲ首相(48)が得票率57・1%で議会議長のペンパ・ツェリン氏を破り、再選を果たした。チベット語の使用や文化・宗教の保護など中国での自治権拡大を柱とする「高度な自治」を求めるセンゲ首相は、対話そのものを拒否し続ける中国の扉をこじ開けるバーゲニングパワーをどう手にするのか、重い課題を抱える。
(池永達夫、写真も)
中国への「抵抗」の血脈継承
ヒマラヤや崑崙(こんろん)山脈に囲まれた統一王朝「吐蕃(とばん)」を起源とするチベットは、第2次世界大戦まで独立国だった。通貨や郵便制度もあった。モンゴルやネパールに対しても主権国家同士の条約を結んでいた。それが1950年、中国人民解放軍の侵攻を防ぎきれず実効支配される。国民党政府を台湾に追い出した中国共産党は、49年に中国人民共和国を建国。その翌年のことだった。59年には最高指導者ダライ・ラマ14世がヒマラヤを越えてインドへ脱出、インド北部のダラムサラに亡命政府を樹立した。脱出者とその子孫が亡命チベット人で世界に13万人いる。うち10万人がダラムサラなどに住むインド在住者だ。
しかし、共産主義を建国理念とする中華人民共和国のチベット支配は悲惨だった。僧院の98%は破壊され、全ての僧侶が還俗(げんぞく)を強制された。これは文革前2年に当たる1963年までに発生した。これまでチベットでの宗教迫害の元凶は文革だったとされてきた経緯があるが、実に文革が始まる2年前にこれらは起きていた。
中国は65年にチベット自治区を設けたものの、チベット文化の否定や宗教迫害がやむことはことはなかった。
その中国・チベット自治区で現在、焼身自殺による抗議が絶えない。2009年以降、中国の圧政への抗議が相次ぎ、これまで143人が焼身自殺している。チベット人を政治的抑圧や宗教弾圧下に置き、漢族への同化政策が取られてきたからだ。
しかも、その手段は非暴力の焼身自殺という悲劇的なものだ。抑圧者である漢人の命を奪わず、自分の命をささげる仏教哲理に根差したものだ。
なおチベット仏教にも、自殺を禁じた戒律が存在するが、大義のための自殺は様相を異にする。
その中国に対しダラムサラの亡命政府は当初、チベットの独立を求めていたが88年に要求を「高度の自治」へ転換した。ダライ・ラマ14世も「独立」ではなく、中国領内にとどまりながら「高度の自治」獲得を目指すという現実的な中道路線を取ってきた。
しかし北京はダライ・ラマ14世に一時帰郷すら認めないばかりか、亡命政府を「分離主義者集団」と断じ、対話そのものも拒否したままだ。さらに中国は、チベット自治区や中国国内に住むチベット族の抗議デモに対する弾圧を強化し、徹底排除に動いている。
そうした力で押してくる巨人に、チベット亡命政府のトップとして立ち向かうのがセンゲ氏だ。
センゲ氏は亡命チベット人初の米ハーバード大学卒だが、貧しい亡命者の家に生まれ、フルブライト奨学金で米国に留学した苦労人だ。父のチュタ氏はチベットを愛する僧侶だった。属していた寺は56年に破壊され、チュタ氏はその怒りから反中ゲリラ活動に専念。中国人民解放軍に奇襲攻撃をかけた折、負傷してもいる。チュタ氏は59年、ヒマラヤ越えでインドへと脱出するダライ・ラマ14世一行のしんがり役として同行している。
そうした義を欠いた中国への「抵抗」の血脈を受け継ぐセンゲ氏は、首相再選を受け、さらに5年間、亡命政府のトップとして中国と対峙(たいじ)する。






