ブータン王室に流れる賢人の血脈
ブータンの魅力(上)
ブータン王国名誉総領事 徳田ひとみ氏に聞く
日本経営者同友会代表理事の徳田ひとみ氏が2010年4月、在東京ブータン王国名誉総領事に就任して、間もなく6年を迎える。ブータンに日本大使館はなく、日本にもブータン大使館はない。「両国を結ぶ市井の“民間総領事”としてとてもやりがいがあります」と徳田氏は語る。(聞き手=池永達夫)
国のため尽くす「帝王学」
国民の幸せを第一義に/還暦の4代国王、国民の誇り
何度もブータンを訪問されていますが、どういう国なのですか?

とくだ・ひとみ 1970年3月、日本女子大学文学部社会福祉科卒業。77年4月、徳田塾主宰。2002年、経済団体日本経営者同友会代表理事に就任。06年、NPO国連友好協会代表理事に就任。10年4月、在東京ブータン王国名誉総領事に就任。
私が初めてブータンに行って感じたことは語弊がありますが、卑しいお顔の人が一人もいないということでした。静かで穏やかな皆様の表情に感動しました。
こんなエピソードを読んだことがあります。ある日本の方がブータンでレンタカーを借り運転中に、段差のある所で動けなくなった時のことです。立ち往生して困っていたら、近くにいたブータンの人たちが集まってきて、黙々と近くにあった小石で段差を埋め終わると何も言わずに去って行ったというのです。誰かが「やろう」と言い出したわけではなく、何も言わないのに誰ともなく集まってきて、困っている人を助ける、このようなことはブータンでは当たり前の行動であるらしいのです。
ブータンの日本人への印象というのはどうなのでしょうか?
日本人に対する印象はとても良いです。1964年、ブータンに国際協力機構(JICA)の職員として赴任されて後、92年にご逝去されるまで、28年もの間、その一生をブータンに捧(ささ)げられた西岡京治氏の存在は大きいと思います。
政府開発援助(ODA)によるトラクターなどの農業用機械の導入、段々畑、ジャガイモや換金作物としてのフルーツ生産、近代稲作技術によるコメ作りなどの指導を行い、西岡氏はブータン農業の発展に大きく貢献されました。ブータン国民から今もなお大変尊敬されていて「ダショー西岡」の名を知らない方はいません。
ブータンの方たちにとっての日本人像は、西岡氏と重なるのだと思います。80年に、ブータン国王から貴族や政府高官などに贈られるダショーの爵位をいただいておられます。
西岡氏がブータンに赴任された64年当時のブータンは鎖国に近い状況で、近代化もインド人官僚主導によるものだったと聞いています。そうした中、伝統農業に固執するブータン人に、日本式農業のメリットを認めてもらうことは、想像を絶する難事業だったようです。相互に大使館を持たない両国の中で、西岡氏が果たされた偉大な功績は誰しもが認めるところです。
現在では、チベット歴史文献学を専門になさっている今枝由郎先生が、ブータンで古典文語チベット語と現代口語ゾンカ語を指導なさるなど、ブータンの伝統文化保存への貢献をなさっています。またJICA、青年海外協力隊など多くの日本人が現地に入り、支援活動をされブータンの人々に尊敬されています。これまでに日本政府はブータンに経済支援、農業支援など多くの支援を行ってきています。
東南アジアの王室は、タイが国父として尊敬を受け健全に残っていますが後継問題が深刻です。カンボジアの王権は弱いし、マレーシアは各州のスルタンが交代でやっていくだけで儀礼化されています。南アジアのネパールでは、王室自体が崩壊してしまっています。そうした中で、ブータンの王室は特異な存在です。
ブータンの国そのものは誕生してまだ109年という若い国ですが、初代国王は戦いを経ることなく、聖俗双方からの推奨を受けブータン国の国王になられたと聞いております。ブータンの歴代の国王は世界に誇れる賢人でいらっしゃいます。
またブータンは日本やタイと同様、一度も植民地になったことがない国です。
今年、還暦を迎えられた第4代国王の存在はブータン国民の誇りとなっています。
父君の第3代もご立派な方でしたが早世されたために、第4代国王は何と16歳で王位を継承されました。その第4代国王が提唱されたのが国民総幸福量(GNH)です。人口70万人にすぎない小さな国ではあっても、世界に向けたGNHの発信力は大きなものがあります。
世界に冠する賢人である第4代国王は、ご自身で王位の定年制を敷かれましたし、子孫に暴君が出るとも限らず国民が不幸になってはいけないと、国王を罷免する権利と、国民自らが為政者を選ぶ権利を保障する民主主義制度を、ある意味、嫌がる国民を説き伏せて導入されています。常に、国民の幸せを第一義に考えておられる「真のリーダー」なのです。元世銀副総裁、西水美恵子様も著書の中でそう評されています。
そういう名君を生んだブータンの帝王学というのはどういうものでしょうか?
ご縁があって第5代国王陛下の弟君とゆっくりお話しする機会がありました。
私が「ブータンの王室に弟殿下として生をお受けになったわけですが、皇子様はどういうふうにご自分の人生を生きていかれるおつもりですか?」とお尋ねしました。すると、弟君は「私は幼い時から父に教育を受け、さらに英米の大学で学びました。父からは、ブータンの国のために一生を尽くしなさい、国民の幸せのために努めなさいと言われて育ちました」そして、「国王である兄を支えることが私の努めです」と言葉を結ばれました。
王室の一員としての帝王学を身に付けられた凛々(りり)しい弟君の姿は、父君第4代国王の若き日のお姿を彷彿(ほうふつ)させるものでした。
父君国王の薫陶を受けた第5代国王と弟君の存在はブータンの未来にさらなる光明をもたらすものと確信しています。
精神的なものが生きている国というのは国家の財産だと思います。
ブータンはヒマラヤの麓にある小さな国で、しかも中国とインドの間に挟まれた地勢上も微妙な場所に位置しています。
世界の多くの国は莫大(ばくだい)な防衛費を使い国を守っていますが、第4代国王はGNHを提唱発信されたことで、ブータン王国の名を全世界に知らしめ、全世界から注目を浴び関心を持たれる国としました。これこそがまさに国防となっているわけです。
世界中から注目され、関心を持たれ、尊敬されることで、結果的に国を守ることにつながります。このように第4代国王は卓越した賢明さを持つ素晴らしい王様だと思います。
また、昭和天皇が崩御された際に各国の首脳が参列されましたが、弔問外交の慣例として各国に返礼のご要望を聞かれました。多くの国の首脳は橋や学校の建設など、日本からの経済協力を望まれたのですが、「日本国天皇のお悔やみに来たのであって物をいただきに来たのではありません」と、ブータン国王だけは要望書を白紙で返されたそうです。
私は名誉領事をお受けする時に、このように高潔で素晴らしい国王様がいらっしゃるブータンに尽力できることを、心からありがたく光栄に思いました。
徳田さんはぴったりの人選だったと思います。そうした内的価値に相対できる感性がありますから。
ありがとうございます。常々自分の感性を磨かないと、何を見ても何を教えられても身に付かないのだと自戒しています。
どんなに素敵な人と出会っても、貴重な示唆を発信されていても、受ける側の受信機がさび付いていたら、大事なことに気付かず素通りしてしまうだけです。それはもったいないことですよね。