増税決断後の安倍政権

経済再生と財政健全化の2兎追う/法人減税から賃金上昇への好循環がカギ

TPP妥結、米に不安も

 

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6日、APEC首脳会議出席のためバリ島に到着した安倍晋三首相=インドネシア(EPA=時事)

 首相は消費増税に踏み切る理由について「社会保障を安定させ、厳しい財政を再建するため、財源の確保は待ったなしだ」と強調。同時に経済対策を打ち出した理由については「増税だけを優先すれば、景気は腰折れしてしまうリスクが高い。経済再生と財政健全化の同時達成しかない」と語った。 安倍晋三首相は去る1日、消費税率を来年4月に現行の5%から8%に引き上げると表明、企業向け減税や補正予算など5兆円超の経済対策も決めた。首相は増税と経済対策の両輪で「経済再生と財政健全化は両立しうる」と強調した。ただ経済対策を労働者の賃上げや消費の底上げなど景気回復につなげられるかどうかは、これからの課題だ。

 「企業優遇」指摘も

 今回の経済対策は「企業優遇」との指摘もあるが、首相は「法人対個人という単純な図式ではない」と説明。「消費税収は社会保障にしか使わない」と語り、増税で吸い上げたお金が企業支援に回るとの批判にも反論した。

 復興法人税の1年前倒しの廃止については「賃金上昇につながることを踏まえたうえで12月中に結論を得たい」と述べた。国と地方を合わせた法人税の実効税率引き下げは「与党で速やかに検討を始める」と明言した。消費増税法では2015年10月に消費税率を8%から10%に引き上げることも決まっている。この点について首相は「経済状況等を総合的に勘案し、判断時期を含め適切に判断したい」と述べるにとどめた。

 首相は会見で「法人対個人という考え方を私はとらない。企業収益が伸びていけば、雇用が増え、賃金が増えていけば家計も潤う」と強調した。強気の首相は最近周囲に「アベノミクスのおかげで増えた税収なんだから、どう使うかは俺が決めるんだ」と漏らしている。今のところ首相の意向が優先する状況に与党内から表立った批判は出ない。ただ首相と距離を置く自民党幹部は「支持率が高い間は仕方ないが、その先はわからない」と指摘する。

 2020年五輪の東京招致を決めたアルゼンチン訪問から帰国した翌9月10日、首相は官邸に麻生太郎財務相、甘利明経済財政・経済再生担当相、菅義偉官房長官の3人を呼んだ。テーマが法人減税に及ぶと麻生氏は「予算措置の方が景気に即効性がある」と主張。甘利氏は「企業業績の改善が賃金に跳ね返る好循環をつくらないといけない。法人減税の効果が大きい」と反論した。論争を聞いていた首相は「アベノミクスは次元の違う政策で日本経済を変えた。財政出動だけじゃなく、法人減税の線でやってほしい」。首相の姿勢は明確だった。

 今春以降に経済指標の改善が続くなか、与党では「これで消費増税を見送れば日本財政への市場の信認が揺らぐ」との声が強まっていく。それでも首相は自民党税制調査会や財務省の幹部に真意を明かさなかった。「いろんなシミュレーションをしてくれ」。首相は7月の参院選後、税率の上げ幅や時期を変える複数案を検討するよう指示した。甘利、菅両氏らに「大事なのは税率より税収だ。ここで手を打たなかったらまた低迷が続くことになる」と考えを伝えた。6月中旬、首相は訪欧中に政府関係者にメールを送った。「7月の参院選公約にこれを追加してほしい。“思い切った投資減税を行い、法人税の大胆な引き下げを実行”」。官邸は法人税の実効税率下げの方向性を明示し、まずは「復興特別法人税の1年前倒し廃止」で増税の影響を緩和する2段階減税を志向した。

 甘利氏は調整の過程で、法人減税をかたくなに拒否する財務省幹部に「麻生さんを財務省の都合で使うな。財務大臣である前に首相のかけがえのない友人だ」と声を荒らげた。最後は首相が麻生氏を説得する形で経済対策の大枠が固まった。首相は「景気回復を実感できる賃上げにつながらないとアベノミクスも政権も失敗に終わる」と繰り返し、その不安は今も消えていない。消費増税の決断という山を越えた1日夜、首相は周辺に「戦いはこれからだ」とつぶやいた。

 首相が最終判断を10月1日まで持ち越したのは、増税不況を回避するための十分な経済対策を練るためだった。政府が8月に消費税に関する集中点検会合を開き、浜田宏一内閣官房参与らから景気悪化を懸念する意見を聞き出したのは、大規模な経済対策の必要性をアピールするためだった。経済対策策定に当たり、首相が特に固執したのが企業への減税だ。日本企業の競争力を高め、海外からの投資を呼び込み、賃上げや雇用拡大につなげる戦略を描く。消費増税は政権にとって鬼門だ。橋本政権では1997年4月に現行の5%に引き上げた後、アジア金融危機も重なって不況に突入。翌98年の参院選に惨敗して退陣した。

 長期政権を視野に入れる首相だが、「8%を失敗するとその先はない」と甘利氏らは政権の危機感が強い。首相は15年10月に予定される消費税10%への引き上げの可否については改めて判断する意向だ。15年4月に統一地方選、秋には自民党総裁選、16年は衆院議員の任期満了、参院選と重要な政治日程が続く。自民党幹部は「選挙も近くなり、10%はやめるべきだという人が相次ぐだろう」と予測する。

賃上げは別問題?

 「企業業績が上向きになれば給料の改善につながり、好循環が生まれる」。経団連の米倉弘昌会長は1日夜、満足そうに語った。経済財政諮問会議の民間議員、小林喜光三菱ケミカルホールディングス社長も「ベースアップは長期的な方向がないと難しいが、まずはボーナスから」と応じた。「法人減税は最大限に利用したいが、内部留保するか、賃上げするかなどは別問題だ」。ある大手電機メーカー首脳はそうほのめかす。

 しかし消費増税や、これに伴う経済対策はあくまで日本での重要課題だ。日本の財政状況には、米国の影響が極めて大きい。その米国の財政協議の迷走が世界経済の不安要因になっている。米議会の与野党対立が解けず、1日から始まった政府機関の一部閉鎖の影響が拡大。今月17日までに連邦政府の債務上限引き上げで合意しない場合、米国債がデフォルトになるおそれもあると市場は警戒する。

 米政府機関が一部閉鎖に追い込まれたのは、2014会計年度(13年10月~14年9月)の暫定予算案をめぐって民主、共和両党が対立し、連邦政府の予算執行を裏付ける暫定予算が9月30日までに成立しなかったからだ。国会が二院制なのは日米とも同じだが、政府の予算編成で衆院の判断が優越する日本と異なり米議会は両院が対等だ。共和党は伝統的に政府の歳出を抑制する「小さな政府」を志向。社会保障などで政府の役割を重視する民主党とは路線が根底からぶつかる。双方の穏健派が超党派で意見調整することが多かったが、今回は来秋の中間選挙が両党を強硬姿勢に傾かせている。特に下院の共和党内では10年の中間選挙後から「小さな政府」の徹底を主張する草の根保守運動「ティーパーティー」が資金や人員などで影響力を持ち始めた。選挙基盤の弱い若手の共和党議員は、民主党への譲歩に徹底的に反対する姿勢を示しており、超党派の合意形成は難しい。

 米財政協議で与野党対立の最大の争点になっているのが、オバマケアと呼ばれる医療保険制度改革だ。大半の国民に医療保険への加入を促し、事実上の国民皆保険の実現を目指す制度改革で、オバマ大統領の遺産にもなりうる目玉政策だ。オバマケアには10年間で1・1兆ドル(約107兆円)の財政負担が生じるとされ、企業の負担も重くなる。共和党はこれらが経済成長を阻むと強く批判。米国の世論もオバマケアの必要性をめぐっては賛否がいまだ分かれている。

 最悪の場合、米国債の利払いなどが滞るデフォルト(債務不履行)が起き、世界の金融動乱にも発展しかねない。混乱が深まったのは、シリアへの軍事介入を見送ったオバマ政権の求心力が落ちると読んだ共和党の保守派が、来年の中間選挙をにらんで強気の駆け引きに出たからでもある。共和党の穏健派は直ちに事態を収束させる党内調整を急がねばなるまい。

 暫定予算案に関しては、下院で共和党の穏健派議員21人が無条件で承認することを表明。民主党の200人と合わせれば過半数を上回り、数字上は承認できる環境が整いつつある、との情報もある。

 米混乱で思惑外れ

 内政の混乱に足を取られ、オバマ大統領がアジア太平洋経済協力会議(APEC)出席を含むアジア歴訪の中止に追い込まれた。大統領の欠席により、TPP(環太平洋連携協定)交渉の難所を首脳の政治決断で打開する思惑は外れた。個別の交渉だけでなく、自由化への世界全体の躍動感が失われかねない。米国の代わりは誰が務めるのか。TPP交渉参加で、日本は世界の貿易自由化の最前線に復帰した。数々の通商交渉の修羅場をくぐり、アジア各国の経済事情に理解が深い日本への期待は、日本国内で考えられているよりもはるかに大きい。

 安倍首相が初めて参加したTPP首脳会議は8日「年内妥結」をうたった首脳声明を発表した。ただ交渉の行方はオバマ大統領が欠席した米国次第でもある。妥結への道筋は容易ではない。TPPをアベノミクスのエンジン役に期待する首相にとって、これからが正念場だ。

 首相は15日からの臨時国会では、産業競争力強化法案を提出するなど引き続き経済最優先を掲げる一方で、国家安全保障会議設置法案や特定秘密保護法案の成立を目指し、集団的自衛権の議論も本格化させるなど世論の賛否が分かれる政策とも取り組む構えだ。安倍政権が長期化するかどうかは、弱体化している野党との関係よりも、自民党内あるいは連立与党の公明党との関係で判断、解決されることの方が大きそうだ。消費増税に伴う経済対策が作動するかどうか。TPPは日本の主導する方向に行くか。中国や韓国との関係はどうなるなど問題は山積している。

(ジャーナリスト)