閣僚の首を取ることに汲々とし野党議員の腐敗は大目に見る左派紙

◆生産性ない追及国会

 明日から臨時国会が始まる。といっても、いま一つ心が動かない。何せ最近の国会といえば、政策論議よりも安倍一強への「追及国会」に終始し、それこそ生産性がない。

 むろん議論すべき課題がないわけではない。政府は臨時国会に13本の法案を提出する。その中には、移民の是非問題に波及しかねない外国人労働者の受け入れを拡大する入管法改正案もある。

 ところが、野党が照準を合わせているのは、初入閣した閣僚ら政務三役の「政治とカネ」や「資質」の追及だという(毎日20日付)。どうやら臨時国会を「安倍つるし上げ」国会とし、閣僚らの首を取る算段らしい。

 メディアも手ぐすねを引いている。朝日は15日1面トップに工藤彰三・国土交通政務官の政治資金の記載漏れを“スクープ”し、週刊文春は片山さつき地方創生担当相の口利き疑惑を取り上げた。

 もとより「疑惑」や「資質」の追及は否定しない。ただ安倍批判のためにするのでなく、与野党を問わずに行うべきだと思う。政治家には権力が付き物だからだ。立憲民主党の枝野幸男代表が「ポスト安倍は自分だ」と豪語しているように野党議員がいつ与党になるか知れない。

◆黒幕議員を追及せず

 だが、メディアは野党に甘い。例えば文科省の一連の汚職・不祥事がそうだ。文科省幹部が東京医科大幹部から便宜を依頼された見返りに息子を不正合格させた汚職事件や、戸谷一夫事務次官(当時)ら幹部職員が業者から不適切な高額接待を受けて処分された不祥事では国会議員の関与が取り沙汰された。

 朝日は9月22日付1面肩に「接待、国会議員も同席 次官・局長辞職 文科省4人処分」と報じ、国会議員の同席を問題視した。事務次官らは現職や元職の国会議員との会合名目で誘われ、高額の接待を受けていた。「国会議員も同席」の見出しは目立つゴシック体で、ここから朝日がいかに国会議員の関与に注目していたかが分かる。

 それは理解できる。国会議員は文科省汚職を幇助(ほうじょ)していた疑いがある。議員や政党に「黒いカネ」が流れ込んでいないのか、事件の推移によっては政界汚職事件に発展しかねない。

 ところが、朝日の記事には国会議員名もなければ、所属政党名もなかった。続報で取り上げるのかと思いきや、その後も音沙汰なしだ。一部に「立憲民主党の議員が黒幕」との情報もあるが、なぜか朝日は追及しない。自民党なら許さないが、野党の腐敗なら大目に見るとでも言うのだろうか。仮にそうなら、ダブルスタンダード(二重基準)の謗(そし)りを免れない。

◆政治倫理は憲法問題

 政治家の腐敗を問うなら、メディアはもっと掘り下げた論議をすべきだ。これもすぐれて憲法問題だ。現行憲法には、院内の秩序を乱した議員を懲罰する規定があっても、政治家の腐敗や資質についての言及がないからだ。

 それを補完するように衆参両院は1985年に「政治倫理綱領」を採択し、その冒頭で「政治倫理の確立は、議会政治の根幹である」と明記したが、法的拘束力はない。これに対して海外では憲法に政治倫理規定を設けている国もある。例えばデンマーク憲法第30条にはこうある。

 「公衆の目で見て、国会議員たるにふさわしくないとされる行為について、有罪を宣告された者は、被選挙資格を有しない」

 これには立憲民主党の辻元清美氏は首をすくめるに違いない。2003年に秘書給与詐欺容疑で警視庁に逮捕され、口裏を合わせて証拠隠滅を図ったことも認めて有罪判決が確定している。デンマークだったら国会議員に立候補する資格すらない。

 また米国や英国では国会議員に「就任宣誓義務」を課す。むろん、憲法や宣誓で汚職がなくなるわけではなかろうが、政治家に自覚を促す一助にはなる。かつて竹花光範・駒澤大学教授(故人)は国会議員に就任宣誓義務を定める条項を憲法に加えるべきだと提言していた(『日本国憲法改正草案』現代書林)。

 とまれ朝日などの左派紙が閣僚の首を取ることに汲々(きゅうきゅう)とするなら、現代版「首狩り族」と言うほかない。もっと建設的かつ公平な論調を望みたいが、無理な注文か。

(増 記代司)