憲法施行70年、9条の解釈でなく条文改正を
日本国憲法が施行されて70年の節目を迎えた。人生で言えば古希の長寿を祝う年であり、70歳以下の国民大多数は現憲法の日本で生まれ育ち、学び、働き、結婚し、家族を養ってきた。こうした人生の営みは、第3章「国民の権利及び義務」の諸条文に定める自由や権利に基づいてなされている。
戦後日本は奇跡の復興と経済成長を成し遂げた。このことは現憲法が概ね評価を得てきた理由ともなっている。
時代とともに変わる情勢
ただ、憲法は時代の所産という現実は認識しなければならない。敗戦のショックから、施行直後は9条の「戦力の不保持」に賛成する世論が強かったが、現在は9条の解釈によって保持する自衛隊をほとんどの国民が支持している。これは70年の間の顕著な変化だ。しかし解釈をめぐっては、集団安全保障のための自衛隊海外派遣、集団的自衛権の一部行使を可能とする安保法制などをめぐって与野党が激しく対立してきた。
安保法制をめぐる政府の新たな憲法解釈には、自衛隊違憲論が多数を占めている学界からは強い異論が出た。また、自衛隊の解消を目指す共産党、「違憲状態」とする社民党、両党と選挙協力を進める民進党など野党の安保政策に懸念が示されるのも、憲法に自衛隊についての明文規定がないからだ。
結果として、政権を任せられないという選択を国民は選挙を通じてしてきたのであり、9条改正がなければ米英独仏など欧米の民主主義国では当たり前の政権交代が起こりにくいと言えまいか。
最高法規の憲法といえども、時代の変化とともに現実との乖離(かいり)が生じれば改正して対処することは、世界のどの国でも行っていることである。現憲法施行70年の次は80年の節目へと時代は流れていくが、国内外の情勢は大きく変化するものだ。
現憲法が施行された1947年から80年前は大政奉還や王政復古の大号令などがあった歴史の転換期だった。黒船来航で開国し、欧米列強を相手に不平等条約を結ぶなど江戸幕府は行き詰まり、天皇を頂く政府による維新が始まった。欧米列強に伍する近代国家を目指し、大日本帝国憲法(旧憲法)が1890年に施行された。
旧憲法下でわが国は列強国となったが、米国などと対立して第2次世界大戦を戦い、1945年8月にポツダム宣言を受諾して敗戦。連合国軍総司令部(GHQ)による占領下で、日本国憲法は46年にマッカーサー最高司令官の指示で草案が起草され、旧憲法の改正手続きによって帝国議会で一部修正し可決。昭和天皇が裁可して公布され、47年5月3日に施行された。
問われる国民の良識
いずれも激動する国際情勢の中で、明治天皇の勅語、占領軍の最高司令官の指示という大きな権限を背景に制定された経緯がある。
だが次の激動の時代に対処が必要となった場合、今度は現憲法96条の改正手続きに従って、国民が選んだ衆参の国会議員と国民自身の投票で決めなければならない。国民の良識が問われるのである。