教科書改め愛国心涵養を田沼隆志 衆議院議員に聞く(日本維新の会)
――衆院の文部科学委員会所属になったが、学校教育の問題点はどこにあると考えるか。
明治維新の侍たちは江戸末期の教育を受けて志士になり、明治日本を建設した。現在も当時と同様、国難であるにもかかわらず、それに対応できる若者を育てる教育になっていない。国を愛する心や倫理・道徳を育む教育ができていないのは大きな問題だ。
武士道精神に通じる「義をみてせざるは勇なきなり」という言葉が好きだが、危機において国家のために立ち上がるという公共心が大切である。教育勅語には「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」とある。公を非常に意識した生き方が重要だ。
また、自分が立派な人間になろう、人格を向上させ完成させようという自己成長を求める気持ちよりも、他人との間でただうまくやっていこうという気持ちの方が強くなっている気がしてならない。「我利我欲」にとらわれてしまっている日本人が多い。誰かの為に、利他の親切な心を大切にする日本人らしさを取り戻す教育が欠けていると思う。
――どこにメスを入れたらいいか。
改革の本丸は、自虐史観の教科書を改めることだ。それによって愛国心の涵養をしなければならない。また、道徳教育といっても、「教科」になっていないことが大きい。教科には、教科書があるが、今の道徳はみな副教材。道徳の専門の先生もいない。ここをまず改善すべきだ。
――現行の教育基本法をさらに改正すべし、との考えはあるか。
改正基本法に満足はしていない。しかし、改正前よりは劇的によくなっているのは事実だ。60点しか得ていないとしてもその果実をしっかりと搾るべきだ。しかし、私は千葉市会議員として、国の方針が市の現場に来る最前線にいたのでよく分かるが、国の方針は全く現場に浸透していない。授業、教科書、副教材を通じて、基本法2条に記された「教育の目標」が実践されているとは思えない。その点を市議会で追及してきたが、教育委員会は「きちんとやっています」の一点張りだった。
教育委を首長部局に統合を
千葉市の場合は、8社から教科書を選ぶことになっているが、それは建前にすぎず、最初から3社に絞り込まれている。千葉県の中では、千葉市だけが議事録を公開しているので、それを見れば教育委員会会議で教科書選択に関する議事内容が分かるが、まともな会議をしていない。教育基本法にどれだけ沿った内容になっているかなどの議論はされておらず、装丁が美しいとか写真が多いとか、地理と公民の連携がされているかといった程度の議論ばかりだ。
――教育委員会の廃止を提言しているが。
教育委員会は今、市長の下にある部局から独立してしまって「治外法権」の状態だ。教育委員会の予算権と任命権は市長が持っているが、市長には市長のピラミッドがあり、教育委員会には教育委員会のピラミッドがある。そのため、市長傘下の部局から教育委員会に対して、施策を命令、改善、チェックすることができない。また、教育委員の選定には選挙が無いので、問題のある教育委員、例えば全く教育改革に情熱のない委員でも、一たび就任してしまうと任期の4年間は代えることができない。
教育委員長は委員会でトップのポストだが、名誉職にすぎず教育についてはあまり知らない「お客様」だ。滋賀県大津市立中学のいじめ自殺事件のときも、教育委員会の委員の一人で現場出身で常勤の教育長が出てきて記者会見を開いていたが、本来ならトップの委員長が最初から出てきて説明すべきだった。
――それを改めるにはどう手を着けるか。
教育委員会全体を首長部局の中に統合し、公選職である首長が最終的責任を負う形が望ましい。市にある財政局長、環境局長、保健福祉局長などと同じように教育局長のポストをつくって、今の教育長と同じ仕事をさせ、責任と権限をはっきりとさせ命令もしていけるように整理すべきだ。そうすれば、議会も市長も教育の事実上の責任者をチェックできるので無責任体制にならない。責任の所在を明確化しないと「今の教育に問題がある」と認めることには、どうやってもならず、真の教育改革はスタートしない。まずはそこからだ。
(聞き手=早川一郎)