哲学ある男女平等政策を 大泉氏
元厚生省児童家庭局企画課長、元衆議院議員 大泉博子
哲学ある男女平等政策を
1990年代から2000年初頭にかけて盛り上がりを見せた「男女共同参画」への取り組みは、今や完全に下火になっている。それは男女共同参画が、社会で活躍するエリート女性向けの内容で、大多数の一般家庭や地方で暮らす女性たちサイレントマジョリティーの意見を汲(く)み取っていなかったからだと思う。
なぜエリート向けになったのか、それは女性のエリートである学者や官僚が政策を引っ張ったからだ。当時の時代背景を考えると上野千鶴子さんなどのフェミニズムの論客が次々と頭角を現すリベラルな考えが主流で、それが反映された。男女共同参画はエリート官僚と社会のリベラリズムが合体して作り上げた「官制フェミニズム」の産物と言っていい。その時代には社会も応援した。
それが今や、男女共同参画が社会を反映したものではなかった上に、推し進めた女性官僚や論客が高齢化で数を減らしていった結果、リーダー役が不在となりくすぶった状態となっている。現代の若い女性たちの意見を反映させた新たな男女平等政策が必要だ。
そこで私が訴えたいのは、家庭や地方、農村で暮らす女性の意見を網羅的に反映した、「男女平等の在り方」などの哲学的な要素も含めた男女平等社会を考えていく必要があるということだ。少なくとも今の若い女性は、昔のエリートやリベラルな論客たちとは違う。それは若い女性の保守化を見れば分かる、例えば専業主婦になりたい女性の数が増えている。
もちろん、当時の男女共同参画の全てが間違っていた訳ではない。男性が大黒柱で働けば家も買えて生活できた時代とは違う今日の社会的背景もあるが、確かに当時の政策のおかげで女性の就業率などは上がっている。
しかし、男女共同参画は少子化問題を考える時に非常にネックになった。「生物的な性」「社会的な性」の問題を混同し、男女の性差を否定するという一面もあったからだ。また、ポジティブアクションという女性を優遇し、積極的に雇用しようという動きにも弊害が出てきている。例えば、もともと理系研究職を志望する男女の母数に差があるのに女性の研究者の割合を3割に持っていこうと優遇するのには疑問がある。それは本当に日本の科学にとって良いことなのか、理研の小保方さんの事件は、その弊害の最たるものだろう。
さらに、近年話題になった「保育所落ちた、日本死ね」や「子連れ市議会」の問題などを見ると、男女共同参画が「働く女性」だけに重きを置き過ぎた歪(ひず)みが出てきたと感じる。「言われた通り働いているのだから、子供を育てるのは私の責任じゃない、社会だ」。そんな自己責任軽視、社会依存を生み出してしまったのではないか。
私は、これまでの「男女共同参画」に代わる、新しい「男女平等社会」に必要なことを三つ提案したい。それは①「女性労働の底上げ政策」②「産む性の教育」③「女性への職業モラルの教育」だ。①の「底上げ政策」では、保育士や介護福祉士など女性が圧倒的に多い職業の賃金を値上げし、女性が誇りを持って働けるようにすること。90年代に盛り上がった女性初の何々の役職者を生み出すより、女の仕事として低賃金で働かされている女性の底上げが必要だ。
次に②の「産む性の教育」だが、戦前の「産めよ増やせよ」のようなものではなく、子供を産むことは尊重され、敬われ、自分の子孫が社会をつくっていく、と男女に対し教育することが絶対に必要だ。
最後の③「職業モラルの教育」は、ビジネスウーマンとして活躍する優秀な女性に職業モラルが教えられていない場合が多いことに対するものだ。彼女たちの母親世代は職業人としての人生を知らないので役割モデルに欠くのだ。ガラスの天井のせいにするのではなく、これ以上は行けないことがあるのだと知る、そして、プロフェッショナリズムとモラルを持ってベスト尽くすことが大切なのだと教える。これら三つを入れた男女平等の政策を作りたい。(談)






