駐屯地効果、島が潤い人口流出に歯止めも
第1部 与那国島・陸自駐屯地(5)
自民党政調会審議役 田村重信緊急リポート
沖縄には「島ちゃび」という言葉がある。「離島苦」の意味で、頻繁に襲う台風が主産業の農作物に大被害を与えること、さらに、沖縄本島や本土から遠く離れた環境故に、インフラ、社会福祉、経済面でハンディを背負っている状態を表す。
島ちゃびを象徴する言葉に、「15の春」という言葉がある。離島の子供たちが15歳の春、中学校を卒業すると島を離れる現象を意味する。
与那国島には小学校が3校、中学校が2校あるが、高校はない。そのため、中学を卒業して高校に進学する子供たちは例外なく島外に出る。高校を卒業した後、島に戻る人はごく少数だ。
2001年に発表された第3次与那国町総合計画では、3000人の目標人口を掲げた。ところが、人口流出の影響で昨年は1500人を切るまで減少した。隊員と家族で250人が今年3月、新たな住民になった。7月末現在の人口は1702人で、1年前と比べて200人以上増加した。人口が1700人を超えたのは9年ぶり。今では人口の約15%は自衛隊員と家族だ。
駐屯地の効果は小学校にも表れている。町内最大の与那国小学校では、昨年度までは異なる学年が一緒に学ぶ「複式学級」を取っていたが、今年度、ついに複式学級が解消された。同小は児童数69人のうち、自衛官の子供は13人に上る。
夏のお盆の時期恒例のエイサー祭りには自衛隊員も参加し、「パーランクー」と呼ばれる沖縄風の小太鼓を片手に踊りを披露した。そんな勇壮な姿を写した写真が駐屯地のエントランスホールに飾られている。高校がなく、10代と20代の青年が少ない与那国島にとっては、いかにも頼もしい存在だ。また、夏恒例の海神祭のハーリー(爬竜船)競漕では、自衛隊チームが存在感を示したという。
駐屯地ができたおかげで、地元に賑わいが戻っている。特に今年3月までは、約600人の工事関係者が滞在し、民宿は常に満室。台風以外で商店が品薄になったのは珍しいと商店の店主は話す。
島民は、かつてなかった交通渋滞を経験している。島には信号が二つしかなく渋滞とは無縁だった島が、港の近くの商店周辺では混雑するようになった。
「これまでと全然違う風景。与那国島ではないみたいだ」と、ある住民は話す。
日本航空(JAL)と日本トランスオーシャン航空(JTA)、琉球エアーコミューター(RAC)が運航する石垣―与那国便の業績が順調に推移していることからも、駐屯地効果の表れを実感できる。観光や修学旅行の需要が好調で、旅客数は今年度に入って毎月、前年を上回っている。
「駐屯地には毎日のように視察者が訪れており、PRしなくても、来島者はどんどん増えている」と糸数健一町議会議長は目を細める。「反対する人々は『自衛隊が来ると観光客も来なくなる』と主張していたが、自衛隊のおかげで島全体が潤った」というのが島民の平均的感覚だという。
100人規模の部隊の経済波及効果は年間1億2000万円というデータがある。160人だとすると、年間約1億8000万円が入ってくるという計算だ。
島の経済が安定するにはもう少し人口が必要だ。人口が2000人の地区で初めて、一つの都市が成立する。そうすれば、スーパーマーケット、本屋、ビデオレンタルなど、島にないものがビジネスとして成り立つようになる。島に街ができていれば、若者のUターンも望むことができる。






