弱い米国と中国防空識別圏
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
覇権範囲拡大狙う中国
日本は対米同盟で存在感を
中国が突然、防空識別圏(ADIZ)設定を宣言した。これは日本との尖閣諸島をめぐる争いで有利に立とうとしただけではなく、明らかにアメリカに対する挑戦と見るべきである。何故今このような大胆な行動をとったのか。中国国内事情はあるものの、アメリカ・オバマ政権の姿勢と置かれた環境とのかかわりを見逃すわけにはいかない。
まず、オバマ政権の反応をみてみると、国防総省が中国に通告することなく即座にB52戦略爆撃機を飛ばした。しかし、米連邦航空局(FAA)は、民間航空会社に中国当局へのフライトプラン提出を薦めた。来日したバイデン副大統領は、米中に対し危機管理と通信の仕組みを設置する必要性を説いている。アメリカは中国の一方的行動を非難するものの、断固としてそれを許さないと撤回を求めてはいない。また、バイデン副大統領のメッセージは尖閣諸島をめぐる緊張緩和には両国に同じだけの責任があるというものと受け止められる。
アメリカに挑戦しようという国がアメリカの姿勢を観察し政策を決めることは多々ある。冷戦中の米ソの駆け引きはまさにそうであった。日本に身近な例をとっても朝鮮戦争勃発の大きな原因は、スターリンがアメリカは北の南下に反応しないと読んだことである。冷戦後を見てもリビアのカダフィ大佐が大量破壊兵器を放棄したのは、イラクに攻め込んだアメリカが次は自国を狙うと考えたからである。
今のアメリカは中国にどう映るであろうか。まず、オバマ大統領は非常に弱い立場にある。支持率は大きく落ち、世論調査によっては不支持率が6割に届こうとしている。専門家が重視する「正直で信頼できるか」という数字も回復不可能と言われる範囲にまで落ちている。
大統領職をかけた新医療保険制度の実施は大きくつまずいている。ソフトは徐々に改良されているものの、情報が保険会社に的確に伝達され、加盟者の理解通りのサービスが提供されるかはまだ分からない。既存の保険を継続できると約束した大統領は「うそをついた」あるいは無頓着であったという印象は拭いきれず、これが信用を大きく傷つけた。若者が加盟しないため、保険料の値上がりがすでに始まっている。当分の連邦予算は確保されたものの、両党間の確執も大統領対議会共和党のにらみあいも緩和する様子はない。
国民は戦争に辟易し、新孤立主義的傾向は強くなっている。経済全般は改善方向に向かっているが、貧困層は厚くなり、十分な食事すら取れない子供の数が増えている。ドローン(無人機)やサイバーが新たな戦闘手段になっているが、ドローンに対する国際的批判は高まり、サイバー攻撃はブーメランのごとくアメリカを攻撃する手段ともなっている。
シリアへの軍事介入は避けられたものの、地域の不安定の度合いは増し、伝統的な同盟国や友好国であるトルコやエジプト、サウジアラビアはロシアや中国への接近をはかっている。国内でレームダックとなったオバマ政権は、海外でも畏怖の念で見られることはない。
欧州各国の指導者や国民は「野蛮なブッシュ」でない、賢明、穏健、環境や福祉を重視するオバマに期待したが、ガンタナモ収容所は閉鎖されず、ドローンで無実の犠牲者を大量に出し、ドイツの首相の電話まで盗聴し……と、今や裏切られたという感じ方が強い。
このアメリカが中国と正面切っての喧嘩を望まないのは明らかである。貿易や経済成長を考えれば、どこの国もアメリカを責められたものではない。アジア太平洋における地位確保や国際問題対応のためにアメリカは中国とどうにか上手くやってゆく道を探るオバマ政権の戦略はトップレベルの折衝を増やし、時間をかけ、信頼関係を構築し、新たな主要国関係のモデルを築くことである。
一方、中国は、互いの核心的利害の保存を主張し、その範囲を広めようとしている。アメリカのアジア太平洋地域における勢力範囲を制限することを狙っているとみられる中国のADIZが徐々に既成事実となり、いずれ米中間で実質それぞれの覇権範囲を決める一歩となりはしないだろうか。アメリカの強さの重要な要因はアメリカの同盟国との絆であるが、アメリカが中国と主要国関係を築こうとする間に、アメリカと同盟国の絆は、まさに中国が望むように弱くなる恐れがあるのではないだろうか。
オバマ政権が中国のADIZ設定に強いいら立ちを感じているのは間違いない。しかし、その一番の原因は、サニーランドで了解したと思った約束――両国間の信頼関係の構築が重要であり、そのためには相手の不意を突かない、なんであろうと相手にまずは通告する――が、違(たが)われたことという見方は強い。
では、もし中国が事前通告していたら、オバマ政権はどう対応したのであろう。日本は無意味に中国を刺激することを避け、表面下で、しかし、早急に日本がアメリカのアジアにおける経済・安全保障体制構築にとって欠かせないパートナーであることを再認識させる必要がある。
(かせ・みき)