独首相の携帯盗聴と国際法
禁じていない情報活動
米による平時のスパイ問題
米国の情報機関「国家安全保障局(NSA)」によるドイツのメルケル連邦首相の携帯電話盗聴はマスコミを含めて極めて重大なスキャンダルと見做(みな)されている。この事件は国際法的にどのように評価されるべきなのだろうか。結論から言えばNSAの盗聴は原則的に国際法的に禁じられてはいない。以下この問題の法的側面について検討しよう。
米情報機関NSAによる盗聴事件は、ドイツのマスコミを騒がせたが、国際法的には事が冷静に推移した。具体的には、第一に、この盗聴は平時におけるスパイの構成要件を満たし、それ自体、国際法的に原則的に禁止されていない。従って、ドイツは原則的に米国から正式の謝罪も要求できないし、これに対する報復行為もできない。
例えば、米国のテロ捜査当局による欧州連合(EU)にあるテロ容疑者の銀行口座への介入を許すという2010年のEUと米国間のSWIFT(国際銀行間金融通信協会)協定を一時的に停止する等々は、盗聴への対応としては国際法的に許されない。条約当事国に相互スパイ活動を行わないことを義務付けるいわゆる「ノースパイ協定」は、米独間には未だ成立してない。この種の協定の締結は排除されてはいないのだが。
この関連でしばしば46年の米英間の「偵察合意」が引き合いに出される。この合意には後にオーストラリア、カナダ及びニュージーランドが加入した。合意では、協定当事5カ国が相互にスパイ行為を行わないとされている。しかし、NSAによってインターネットに発表されているこの「合意」は、国際法的に拘束する条約というよりは、むしろそれぞれの国の情報機関間の政治協定と見做されているようである。明示的「スパイ禁止」は指摘されず、ここではむしろ情報機関保有情報の包括的交換が重視されている。これによって相互スパイ行為が結果的に不必要と見做されているのだ。
なお、これまで米国は、ヴァチカン市国を含めて、如何なる国とも法的拘束力のある「ノースパイ協定」を締結していない。他の諸国も、この種の「ノースパイ協定」は相互に結んでいない。しかし協定がない事実は、この種の協定が不可能であると言うことにはならない。この種の禁止は、当初から国家利益の留保下に置かれていた。例えば、米国では、01年の同時多発テロの若干の当事者がハンブルクで学んでいた事実が指摘されている通り、ノースパイ協定に至れない実情がある。
メルケル首相への盗聴がベルリンの米大使館から行われているとすれば、当然この行為はウィーン条約違反となろう。この条約規定によれば「外交関係者は受け入れ国の法を順守し、しかも使節の任務と相容れない方式で施設の空間を利用してはならない」。受け入れ国政府の通信監視は正にこの行為に該当する。ドイツ連邦政府が米大使館におけるNSAの盗聴の証拠を有する場合、ウィーン条約違反をもってハーグ国際司法裁判所に訴えることが可能となる。しかし、ドイツ側は証拠問題の困難に加え、政治的配慮からしてこのような行為は回避するであろう。更に、たとえドイツの裁判所における米大使館員に対する刑事告発を行うとしても、大抵の場合、外交上の不可侵権によって失敗に帰するのが通例である。
更にドイツ内の米国軍事施設によるメルケル首相への盗聴行為は、北大西洋条約機構(NATO)駐留協定違反となりえる。しかしこの種の問題は、裁判所ではなく、当事諸国間の交渉で解決されることとなっている。つまり権利侵害を主張して解決することは極めて困難と見做される。
メルケル首相が米国本土から直接盗聴されている場合、国際慣習法違反は見出し得ない。欧州人権裁判所は06年ドイツ情報機関たる連邦情報局(BND)による無線通信の戦略的国際監視活動に関し、「衛星による外国通信の盗聴並びにその情報成果の利用が、外国領土から発せられる情報がドイツ領土から監視され、収集され、かつ利用される限り、他国の国際法的に保護された領土主権に違反しない」と判定した。NSAが米国本土でメルケル首相の携帯を盗聴する限り、前記の行為と変わりがない。
人権侵害の構成要件もここでは充足されない。確かにメルケル首相も私人としては66年の市民権及び政治的諸権利に関する国際条約によって、プライバシーへの恣意(しい)的介入に対する保護を受ける。しかしこの条約は、条約当事国が自らの領土内におり、しかも自らの支配下にいるすべての人々への保護義務を規定したに過ぎない。しかも介入の恣意性あるいは違法性については、米国自身が対象とされる限り、米国法によって判断される。メルケル首相であれ、普通のドイツ市民であれ、友好国市民に対する盗聴は、非友好的行為とは見做されても、国際法違反には該当しない。
国際法が平時におけるスパイ行為を実際に禁止方向に向かうか否かは、お互いに自国の情報機関が他国で同様の行為を行っているか、あるいはこれから行おうとしている現状からして、疑問が提示される。これまでの現状は、「君がスパイをやり、僕もスパイをやり、みんながスパイをする」からである(多分情報弱小国日本を除外すれば?)。
(こばやし・ひろあき)