超高齢多死社会にどう対峙

根本 和雄メンタルヘルスカウンセラー 根本 和雄

「八正道」で潔く生きる
「老い」を受け入れ日々養生

 わが国は紛れも無く「超高齢多死社会」に直面している状況である。

 高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)が21%を超えた社会を「超高齢社会」と呼んでいる(国連による)。わが国では既に21・16%(2007年3月)になり、15年には26・7%、つまり4人に1人が高齢者で、8人に1人が75歳以上という現状である。

 今後、推計では30年には3人に1人が高齢者で高齢化率は31・8%と予想され、さらに50年の高齢化率は39・6%で、まさしく「超高齢社会」の到来である。

 加えて、年間の死亡者数は15(平成27)年で130万2000人、39(平成51)年には、169万人と推計される「多死社会」の到来である。

 この「超高齢多死社会」と、どう向き合うか、今、問われている急務ではなかろうか。

 このような状況の中で「老いと死との狭間」に苛(さいな)まれつつ「病い」を受け入れながら日々を歩む現実に直面しているのではないかと思う。明代の朱子学者・陳(ちん)白沙(はくさ)(1428~1500)はこう語っている。

 “人と為(な)り多病なるは未(いま)だ羞(は)ずるに足らず。一生病なきはこれ吾(わ)が憂(うれい)なり”と。

 すなわち「人が多く患っていることは、少しも恥じることはない、むしろ病を患うこともなく、病の何たるかを知らない方が心配である」というのである。確かに、「病は恵みである」とは、アユルヴェーダ医学(インド)の考え方で、病気になる前に気付かなかった人生や自分に気付かせてくれる恩寵(おんちょう)の賜物(たまもの)に他ならないのである。

 また“老いるは嘆くに足らず、嘆くべきは是(こ)れ老いて虚しく生くるなり。死するは悲しむに足らず、悲しむべきは是れ死して而(しか)も聞こゆるなきなり”と呂(ろ)新吾(しんご)(1536~1618)は『呻吟語』(修身)で述べている。

 つまり、「老いは避けられないが、唯(ただ)、空しく生に執着するのは嘆かわしいし、人はいずれはこの世を去るのであるが、何か成し遂げたということを残したいものである」という。

 では、どのような生き方が求められるのであろうか。例えば、江戸前期の儒学者・貝原益軒(1630~1714)は、“老後は、若き時より月日の早き事十倍なれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年として喜楽して徒(あだ)に日を暮らすべからず”(『養生訓』・1713年)と述べているように、“一日を十日と”する心に張りのある生活によって益軒は、江戸の時代に当時85歳の長寿を全うしたのである。そこには、「老い」という現実を淡々と受け入れた、潔い生き方があったのではなかろうか。

 確かに、「老いを受け入れる」ことによって、これまでとは異なる「老年的超越」が生じてくることを、トルンスタイム(スウェーデンの社会学者)は指摘している。そこには、自己への執着が次第に薄れ、宇宙的意識とともに生命の神秘を感じ、死を一つの通過点と考え死を受け入れることが可能になるという。

 「老い」と「死」を受容することによって、このように、本来の自己に立ち帰り無為自然のとらわれない人生を歩むことができるのではないかと思う。その具体的実践を述べてみよう。この「とらわれない人生の生き方」は、原始仏典(ブッダ)が説いている「八正道(はっしょうどう)」の実践によって、潔い生き方ができるのではなかろうか。その「八正道」を挙げれば、

・正見=偏見や邪見のない素直な眼差(まなざ)しで物事を観察すること。

・正思=相手の立場を気遣う思いやりの心。

・正語=相手に勇気と生きる力を与える愛語。

・正業=誠意をもって目の前の仕事をすること。

・正命=自らの心身の命を大切に活(い)かすこと。

・正精進=自分を高め他者を活かす「自利利他」の行いのこと。

・正念=何が正しいことであるかに気付くこと。

・正定=瞑想(めいそう)によって正しい集中力を身に付けること。

 これらの八正道の実践は、物事に捉われ執着している心を掃除して、清々(すがすが)しい生き方を与えてくれるのではなかろうか。

 今や「超高齢多死社会」の迫り来る昨今、「老い」と「病い」そして「死」と、どう向き合うかを、八正道によって深く洞察することができるのではないかと思う。

 “死時に心を動かさざらんとせば、須(すべか)らく生時に事物を看得(みえ)て破るべし”

(「菜根譚」・後集・26)

 要訣(ようけつ)は、平生常日頃、物事の道理をよくよく見抜いておくことが必要で、そのためにも、釈尊が原始仏典で説いた「八正道」実践が今、問われているのではないかと思うのである。そして、常に日々養生を心掛けたいと切に願うのである。次の言葉を忘れずに。

 “養生するは、死を善くせんがためなり”と。

 安土・桃山時代の医師・曲直瀬(まなせ)道三(どうさん)(「養生物語」)

(ねもと・かずお)