進展なかった日露領土交渉

中澤 孝之日本対外文化協会理事 中澤 孝之

見解の相違物語る「声明」
双方の発表文の中身に齟齬

 旧年師走半ばの2日間の日露山口・東京首脳会談についてロシアでは、領土問題で譲らなかったのに日本から経済協力を得たということで、「ロシアの外交的勝利」との満足感が漂ったという。ロシアの有力紙は「シンゾー・アベの計画はうまくいかなかった」との書き出しで、長時間の会談にもかかわらず、アベが国民に示すことができた成果は北方領土での共同経済活動だけと皮肉った。対日交渉でプーチン外交は得点を重ねたわけだ。その「北方領土での共同経済活動」(以下「活動」)について、やや詳しい分析を試みる。

 第1に、首脳会談の総括として日本外務省から発表されたのは2本の、単なる「プレス向け声明」(以下「声明」)であった。一つは「『活動』、平和条約締結問題」、もう一つは「元島民による墓参等」とのサブタイトルが「声明」本文の欄外に付けられている。この「声明」は、「共同宣言」や「共同声明」といった強い拘束力を持つ重要な法的文書ではなく、「結果を報道機関に公表するための文書」(日本政府関係者)にすぎない。

 一方、ロシア大統領府発表(露文)の「声明」のタイトルはそれぞれ、「露日交渉の結果に関する(南クリル諸島での「活動」問題に関する)プレス向け声明」、および「露日交渉の結果に関する(人道的協力に関する)プレス向け声明」と「声明」の内容がタイトルだけで分かるようになっている。日本側のそっけない「声明」タイトルと異なる。

 日本側は2013年4月のモスクワ首脳会談後発表されたような「共同声明」の作成を目指したが、ロシア側は「13年声明も十分に履行されていない。新たな声明は不要」と強く難色を示したという。野上浩太郎官房副長官は、「北方4島の呼称で折り合わず、共同声明と位置付けることを避けた」と弁明した。しかも、「声明」が、2日間の会談(交渉)全体の概観ではなく、「活動」しか取り上げていない点、日露双方の見解の相違を物語っているようだ。

 「活動」は昨年5月のソチ首脳会談で安倍首相が持ちだし、プーチン大統領もすんなり受け入れた構想だ。実現すれば、日露両国の政府や民間企業が出資し、ロシア(ソ連)が70年以上も実効支配してきた北方領土で合弁事業などを展開する。日本政府はこの構想の実現を通じて、領土問題の打開を図りたい考えといわれる。ソチ会談のあと安倍首相が紹介した「新しいアプローチ(発想とも)」の核心は、同構想実現のための「帰属問題の先送り」だったとの説がある。しかし、「帰属問題」は交渉の最後まで付きまとうので、その先行きは決して楽観できない。

 第2に、「声明」の日露の発表文の中身に齟齬(そご)があることを指摘したい。まず、第1項の2日間の交渉の場所について、日本文は長門市、東京の時系列順だが、露文では東京、長門市と逆だ。経済協力を重点に協議を進めた東京を先に持ってきた狙いは明白である。

 次に、日本文では同じ第1項で、「(……交渉において)択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島における……」と4島の島名を明記している一方、露文では、タイトルと同様、「南クリル諸島における……」と一括呼称し、共同経済活動をどの島で実施するのかを明確にするのを避ける意図がうかがえた。

 さらに、第3項の日本文の「調整された経済活動の分野に応じ、そのための国際約束の締結を含むその実施のための然るべき法的基盤……」とのくだりだが、露文は「国際約束」ではなく「国際dogovor(条約、契約)」となっている。「約束」と「条約」の違いも見逃せない。

 第3に、第5項「両首脳は、(中略)平和条約問題を解決する自らの真摯な決意を表明した」という文章の「決意」という言葉を入れることに、プーチン大統領は難色を示したと伝えられた。安倍首相が法的拘束力もない「声明」の文面で「決意」の文字にこだわった意図は何だったのか。理解し難い。プーチン大統領が渋ったことが事実なら、それは「決意の意思がない」本心を隠さなかった証左、とも解釈できよう。

 第4に、安倍首相は最後の共同記者会見で「共同経済活動を行うための特別な制度について交渉を開始することで合意した」と胸を張った。しかし、日本文、露文のどちらの「声明」にも、「特別な制度」の文言はない。一方、ウシャコフ大統領補佐官は「(北方領土は)ロシア領であり、共同経済活動はロシアの法律に従って行う」と断言した。

 最後に、首脳会談終了の翌日から安倍首相は慌ただしくテレビ各局をハシゴして回り、また元島民代表を呼び出し、「成果」を誇示して見せた。「(首脳会談で)本格的な領土問題の話に入ったと思う。共同経済活動を進めることで領土問題の解決に必ず結び付いていく」などと強弁するポーズとは裏腹に、「失敗」を糊塗(こと)するための弁明のあがきにしか映らない。いずれにせよ、功を焦った首相の異常なほどの前のめりにもかかわらず、日露領土交渉、さらには平和条約交渉は、日本側が苦い経験を味わったエリツィン時代同様、首脳間の親密な信頼関係だけでは実質的に一歩も前に進まないことを改めて思い知らされた今回の首脳会談であった。

(なかざわ・たかゆき)