箱モノ・補助金行政から脱却を

komatu東京財団上席研究員 小松 正之

大局観を欠く豊洲移転
政策見えぬ高田松原大堤防

 日本政府は戦後一貫して衰退する日本の沿岸漁業・水産業に対し、水産行政が効果的な政策を作れず時間を浪費し、漁業者からの不満に対しては水揚げ施設、冷蔵庫建設と漁港や補助金でなだめ、最も重要な資源の回復策を目的とした基本的な漁業法制度改革をしてこなかった。

 そのことに対して警鐘を2007年5月、初めて鳴らした「これから食えなくなる魚」(幻冬舎新書)を私は出版した。当時はとてもセンセーショナルであった。その後、一般財団法人・日本経済調査協議会「魚食を守る水産業改革高木委員会」が立ち上がり、「科学的根拠に基づく資源管理や養殖業の一般企業への開放を目指した漁業権の規制の撤廃」などを提言した。

 また、著者は自民党の福田・麻生両政権と民主党の菅政権の下で、内閣府規制改革会議専門委員と行政刷新会議ワーキンググループ委員となり、水産業の規制改革に乗り出し、戦後70年間も手つかずの漁業法制度の包括的改革案を政府への提言として提出した。

 しかし政府は漁業協同組合など補助金誘導の団体の意見を聞き、旧態の漁業法制度を変えなかった。この間も日本の漁業の生産量は100万トンも減少した。政府予算は漁業の衰退に向けて使われる無駄遣いである。

 ところで、政策立案に重要なものはデータと情報である。築地市場に関する情報は、東京都が示した取扱金額と数量だけである。卸業者や仲卸業者各社の品目別売上金や階層別の経営内容などの重要情報がない。また、大学による体系的な評価分析もない。豊洲新市場であれ、どこか別の場所に移転するのであれ、中央卸売市場像が描けない。

 自著「日本の食卓から魚が消える日」(日本経済新聞社)(10年)と「東京湾再生計画」(共著、雄山閣)(同年)では築地と豊洲市場への移転論争の歴史と海外市場にも触れ、情報の共有とIT化の必要性を説いた。築地市場は非公開のセリや相対取引や古い運送にこだわる旧体制である。一方、5880億円を要して巨大な箱モノが出来上がり、豊洲新市場では多額の施設使用料と施設建設償還金が卸業者、仲卸業者にのしかかる。

 私は農林水産省の役人時代から、築地市場にはよく通う。16年は30回以上も通った。日本橋市場以来の「魚河岸」の歴史や東京湾すなわち江戸内湾漁業にも触れた。「江戸前の定義」も、見つからないので、自分で執筆(共著)した。

 同様に日本橋から築地を経由して豊洲新市場までを包括的で基礎的な情報論文や書物、歴史と市場の動きを分析評価したものや将来を展望したものが見当たらなかった。特に築地市場の現状と問題点、豊洲新市場の将来の展望と方向性を明確に著したものがない。だから築地によく通い海外市場も見てきた私が、書くことにした。本質的な問題と将来展望を中心として、「豊洲市場これからの問題点」(マガジンランド)(17年1月刊行予定)にまとめ上げた。プロ、素人と学識経験者にも考える基にしたつもりである。

 本書で築地や豊洲を体系的に海外に説明したい。外国人から見れば、今の築地と豊洲市場の問題を知るすべがないと思っている人がとても多いのではないか。

 東日本大震災で被害を受けた陸前高田市にある高さ12・5メートルで長さ2000メートルの大堤防は富士山型をしている。他の隣接地域は垂直型の堤防でどれも高さは広田湾の奥、高田松原とその付近では12・5メートルである。この高さは数十年に1度の大津波には耐えられるというが、11年3月の東日本大震災の津波は高田松原で15メートルを超えた。富士山型堤防は津波には強いだろうが、津波は波高6メートル程度でも超えるのではないか。総工費は280億円という。また、同様の規模の大津波が昭和8年と明治29年に襲っている。40年に1度、巨大津波が襲う地域だ。

 気仙川の河口に設置される水門も12・5メートルの高さで全体が気仙川の河口域と同じ幅で五つの遮断壁がある。水門・破断壁には140億円が掛かる。さらに遮断壁を一度落とす訓練実験に100万円が必要となる。だから訓練は簡単にできない。これらの建設は岩手県で行い、陸前高田市は関与していないので、通常管理も県が盛岡と三陸事務所(大船渡市)で行うという。陸前高田市役所は関与がない。

 箱モノ運営と管理、防災と施設運用のソフト面を含めた総合的な政策はどうなっているのか、各部署で分断される。造る人は造るだけか。本当に堤防・水門・遮断壁は機能するのか。

 箱モノは大阪湾のカジノを含む統合型リゾート(IR)と東京オリンピックと続く。国の借金は累積では1000兆円を超え、さらに増える。