トランプのアメリカと同盟国
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき

内向きの原因は双方に
「共に何ができるか」考えよ
1961年1月、現駐日米国大使の父、ジョン・F・ケネディは大統領就任式で次のように述べた。
「全ての国々に知らせましょう。アメリカに好意を持つ国にも、そうでない国にも。我々はあらゆる代償を支払い、あらゆる重荷を担い、あらゆる困難に耐え、全ての友を支え、自由の存続と繁栄を妨げる全ての敵と戦う覚悟であるということを」。そして世界市民に向かい、「人類の自由のために共に何ができるかを考えよう」と訴えた。
超党派で尊敬される大統領ロナルド・レーガンは、しばしばアメリカを「光り輝く丘の上の街」に例えたが、初めて大統領に選出される前の晩、「ポトマック川沿いの街を訪れる人々は肌の色が白、黒、赤、黄色としてではなく、またユダヤ教徒、キリスト教徒としてでもなく、保守派、リベラル、または民主党員、共和党員として来るのでもない。彼らはみなこれまでのアメリカの歴史に畏敬の念を抱き、彼らにとってはいまだに光り輝く丘の上の街を誇りに思ってやって来る」と述べ、寛容で、希望に満ちたアメリカを描いた。
そして2016年。アメリカ国民は「アメリカ・ファースト」と唱えるドナルド・トランプ氏を大統領に選んだ。同氏は、これまで長年アメリカは世界にいいように利用されてきたが、これからはアメリカの利益を考える、メキシコとの間に壁を設ける、ムスリムの入国を禁じる、と約束し支持を得た。
世界の警察官の役はもうごめん、と考えるのはトランプ氏の支持者に限らない。我々は世界にばかにされている、軽んじられていると苛(いら)立ち、国として自信喪失しているかのようである。確かに今のアメリカは国民の多数が「変化」を求め、現状に何らかの不満を抱いている。政治や社会に対する怒り、将来への深い危惧(きぐ)が渦巻いている。所得の格差がますます広がり、人種や宗教差別、アルコール・薬物中毒が横行するなど深刻な社会問題も抱えている。しかし、アメリカをこれほど変えてしまった理由は、現状への不満だけではない。
自信喪失の最初のきっかけは、みじめな撤退に終わったベトナム戦争だろう。自由をもたらせず、多くの無実の犠牲者や難民を生んだ。戦いから戻った米兵は、自国民から冷たく扱われた。そして冷戦終結。アメリカが築いた自由民主主義にのっとった国際的枠組みが勝利した。政治学者フランシス・フクヤマは政治の最終形態としての民主主義体制が勝利し、「歴史の終わり」が訪れたと書いた。アメリカはオルブライト国務長官の述べるように唯一の「掛け替えのない国」かのようであった。アメリカは平和裏に冷戦を勝利に導いたことに確かに大きな役割を果たした。しかし有頂天さは、他国から「ハイパー・パワー」と非難された。欧州ではアメリカを抜いた安全保障制度も検討された。
そこに起きた同時多発テロ。アメリカは決して無敵でも、鉄壁の要塞でもなかった。恐怖が広がると同時に、アメリカやアメリカが表す価値観をそこまで憎む人々がいることは衝撃だった。アフガニスタンやイラクでの長い戦争は平和をもたらさず、アラブの春など中東で情勢が変化するとそこに介入しても、しなくとも、アメリカは非難された。
外の世界に関わるのは空しいとアメリカ人に思わせるのは外からの非難や成功しない戦いばかりが原因ではない。ケネディ、ジョンソン両政権で国防長官としてベトナム戦争戦略の責任者であったロバート・マクナマラは、自伝やドキュメンタリーでベトナム戦争は過ちだった、勝利できそうにないと感じながら戦争を継続したこと、そしてさまざまな戦略を誤ったことを認めた。過ちを認めることは正しいかもしれない。しかし、そこで命を失った兵の遺族、負傷兵そして米軍は犠牲や貢献の意味を失った。
8年前のオバマ大統領就任時、各国で反米感情が高まっていた。新大統領は国連演説でアメリカに対する不信感が広まっていると述べ、各地でアメリカの傲慢(ごうまん)さや時に他国への思慮のなさがあったことを反省する言葉を繰り返した。アメリカの非政府組織や個人、そして政府が世界にもたらした貢献は語られることがほとんどない。他国民からの非難の声は大きいが、感謝の言葉はなかなか届かない。
アメリカにとって他国の問題に介入することはもはやむなしい。しかしアメリカの指導力なしには、自由や平等という我々が当然と思っている価値観に基づいた国際的な枠組みを維持するのは難しい。アメリカが手をこまねいていると情勢は悪化する。今やウクライナにおいてもシリアにおいてもロシアに主導権を握られ、多くの無実の犠牲者を出している。アメリカが早くから介入していれば情勢は違ったかもしれない。
今の内向きでどこか投げやりのアメリカを生んだのはアメリカ人だけではない。アメリカ人の人の好さ、理想に燃える純粋さに頼り続け、非難はしても十分貢献をしてこなかった同盟国にも責任がある。改めて「共に何ができるか」を考え実行しなくてはならない。
(かせ・みき)