旧皇室典範を復元改正せよ

小山 常実大月短期大学名誉教授 小山 常実

違法に作られた「新典範」
国際法や帝国憲法にも違反

 天皇陛下の譲位問題がきっかけとなり、現行「皇室典範」(以下、「新典範」と言う)の改正問題が再浮上しています。しかし、中身がどうであれ、「皇室典範」の改正に反対です。それは、「新典範」というものが、偽物の存在であり、無効の存在だからです。

 では、何故に無効なのでしょうか。内容面からも無効であると言えますが、ここでは作られ方に注目して、無効理由を挙げておきたいと思います。本当に、「新典範」は無法の極みとも言える作られ方をしています。成立過程については、「日本国憲法」の場合はまだしも不十分ながらも研究されてきましたが、現行「皇室典範」の場合は本当に研究が進んでいません。それでも、その作られ方の出鱈目(でたらめ)さは十分に知ることができます。

 まず、簡単に作られ方を紹介しておきましょう。昭和21(1946)年7月から9月にかけて、臨時法制調査会の第一部会というところで、「日本国憲法」の審議と並行する形で、「新典範」の立案が行われています。その際、第一部会の幹事たちは、頻繁にGHQと連絡を取りながら、「新典範」の内容を決めていきました。そして、12月には「新典範」案が第91帝国議会に提出され、簡単な審議の上、原案通り可決されてしまいます。もちろん、臨時法制調査会の委員たちは、連合国軍総司令部(GHQ)の意向には逆らえませんでした。

 翌22年1月16日、「新典範」は法律として公布され、5月3日、「日本国憲法」とともに施行されました。本物の典範である旧皇室典範は、前日の5月2日、廃止されてしまいました。

 このような作られ方を見ると、何よりも異様に感じますのは、皇室典範というものは皇室の家法ともいうべき性格を持つにもかかわらず、「新典範」作成に当たって、皇室が全く関与していないことです。皇室典範を作るならば、旧典範第62条に「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ」と規定していたように、皇族中心の会議であった皇族会議で十分に議論すべきであったと言えます。しかし、皇族が全く存在しないどころか、本来皇室典範について議論する資格のない臨時法制調査会が中心的に「新典範」案を作成していったのです。明らかに、「新典範」は、旧典範に違反して作られた無効の代物です。

 また「新典範」は、帝国憲法違反でもあります。帝国憲法第74条①は、「皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス」と規定していました。ところが、「新典範」は、議会の議決に基づき、法律として制定されました。明らかに第74条①項に違反しております。「日本国憲法」の場合は、まだ、最も表面的なところでは、帝国憲法第73条の定める手続きに沿って作られました。これに対して、「新典範」は、明確に帝国憲法の定める手続きにも旧典範の定める手続きにも違反して作られた偽典範なのです。

 次に、異様に感じますのは、「日本国憲法」の場合と同じく、「新典範」がGHQの統制下で作られたことです。皇室典範というものは、大日本帝国憲法とともに日本国家の憲法ともいうべきものです。ですから、占領下であっても、当然に、日本人自身が自由意思をもって立案し決定していくべきものです。実際、ポツダム宣言は、憲法や典範を改正する場合における日本側の自由意思というものを尊重する約束を行っていました。

 ところが、GHQはその約束を反故(ほご)にして、偽物である新皇室典範を日本に押し付け、本物の旧皇室典範を強引に廃止していったのです。「新典範」は明らかに国際法に違反した無効典範なのです。

 以上見てきたように、「新典範」は、「日本国憲法」の場合以上に出鱈目な作られ方をしており、「日本国憲法」と同じく無効な存在です。このような作られ方をしたことに想いを馳(は)せるとき、日本国民は怒らなければならないと思います。ところが、そのような怒りを持った言論人や政治家は、限りなくゼロに近いようです。情けないことです。

 それはともかくとして、皇室典範改正を行うならば、無効の存在である「新典範」を改正する形ではなく、明治時代に作られた皇室典範を復元改正する形で行わなければなりません。同じく、憲法改正を行うならば、無効の存在である「日本国憲法」改正という形ではなく、大日本帝国憲法の復元改正という形を取るべきであります。

 なお、「日本国憲法」と「新典範」の処理手続きについて、詳しくは拙著『「日本国憲法」・「新皇室典範」無効論』(自由社ブックレット、2016年9月)を参照されたい。

(こやま・つねみ)