執行機関持たぬ国際法の限界
「力なき正義」は脆弱
絶えず無視される運命に
国際法は、世界の平和維持や自国の安全保障にどの程度有効なのであろうか。これまでに形成されてきた一般国際法は、主権平等や内政不干渉、国家領域の統治権や外交特権、条約の拘束力や侵略戦争の禁止などの基本原理を定めてきた。これらは、おそらく、人間が普遍的に持っている自然法から発展し、さまざまの国際的な紛糾を経験しながら、次第に慣習法として成立してきたものであろう。それは、国家間に平和と秩序をもたらすために、法的な面から工夫されてつくり上げられてきた人類の知恵である。
しかし、この国際法は、国内法と違って、特殊な性格を持った法である。第1に、それは統一的な立法機関を持たない。第2に、それは単なる慣習法か条約としてしか存在しない。第3に、裁判機関がない(あっても、国際司法裁判所の場合は、紛争当事国が合意しなければ裁判を受けられない。国際仲裁裁判所の場合は単独でも訴え出ることができるが、両者とも強力な強制力はもっていない)。第4に、国際法は、法の執行機関つまり警察と軍隊がない(国連軍はあるが、その権限は、休戦ラインの監視や平和維持などに限られ、大きな限界がある)。
従って、国際法は必ずしも守られるとは限らない。現に、例えば、一国が条約を自国の都合で破っても、それを罰するための普遍的な強制力は、世界にはない。国際間に、強力な軍事力と警察力と司法権力によって諸国家の権利を制限する強大な世界法廷が存在しない以上、条約はいつでも破られる可能性があると言わねばならない。
実際、中国が、歴史的に南シナ海の大部分に主権が及ぶと言う主張のもと、南沙諸島の珊瑚(さんご)礁の周囲を埋め立てて人工島を造成したことを、オランダ・ハーグにある常設仲裁裁判所は、最近、フィリピンの訴えに基づき、ほぼ完全に否定する判決を下した。中国も国連海洋法を批准しているから、中国の行動は国連海洋法違反ということになるが、これとても、中国が裁定を無視するか国連海洋法から脱退するなりしてしまえばそれまでのことであり、必ずしも中国の敗北と決めつけてしまえるものでもない。事実、中国は、最初から、仲裁裁判所の裁定は無効であり従わない、判決は紙屑(かみくず)にすぎないとして、判決を一顧だにしていない。中国がこの判決を受け入れることはないであろう。
国際法は、クモの巣のように、いつでも破ろうと思えば破ることができるものなのである。望むらくは、これを力によって強化し、鋼鉄の鎖のようにしなければならないが、今日それはまだできていない。だからなお、今日の国際法では、国家間の平和と秩序は十分には保障することができないのである。
国際法は、自国や同盟国の国益を守るための外交圧力の大義名分としてわずかに有効だというべきだろう。南シナ海問題でも、フィリピンをはじめ、アメリカや日本、オーストラリア、ベトナムなどが、仲裁裁判所の裁定を盾に中国の違法行為を非難する国際包囲網を築いて、中国に圧力を加えていくことはできる。しかし、中国を強制的に裁定に従わせる最後的手段は、国際法は持っていない。究極的には、法ではなく軍事力が物を言うことになる。この場合には、戦争になることも覚悟しなければならない。
国際法も、必ずしも実際の戦争を全て禁止しているわけではない。現在の国連憲章も、少なくとも個別的自衛権と集団的自衛権は認めているのである。国際法は、むしろ戦争の限界とルールを決めているにすぎないとみるべきである。しかも、このルールは、絶えず無視され破られ続けてもきたのである。もともと、国家間に働くものは、究極的には力の論理であるから、国際法という理性の法は、絶えず無視される運命にある。条約は絶えず無視され、骨抜きにされていく。むしろ、国家の正・不正は、国家と国家の力関係によって決められるのである。
なるほど、何人(なんぴと)も疑い得ない正義が、一種の自然法として、国際間には存在するではあろう。しかし、このような正義は実行されるとは限らない。正義を守るだけの、国家以上の権力が世界には存在しないから、国際法が蹂躙(じゅうりん)されても、蹂躙されてしまえばそれまでであって、何らこれに対して制裁を加えるだけの公正な力はないのである。
国際法は、多くの国際紛争の経験から、世界平和の法として次第に生成発展してきたものである。しかし、これは、その背後にこれを維持する公平で強力な権力を持ってはいないから、絶えず破られ、そのため国家間の戦争状態は継続することになる。権力配分を規制する正義の法は、なお貧困であるとみるべきであろう。力なき正義は脆弱(ぜいじゃく)なのである。
(こばやし・みちのり)






