「心身一如」養生法で健康に
七つの摂生で養う「氣」
「氣」の不調から生ずる疾患
古くより、“心が病むと体が痛み、体が病むと心が痛む”というように「心と体の相互作用」についてよく知られている。例えば、旧約聖書に“こころよき言葉は蜂蜜のごとくにして魂に甘く骨に良薬である”(「箴言」16・24)とある。もともと、古代インド・ギリシャでは、心と体は一つであるという「一元論」の立場でギリシャの哲学者・プラトンは、“心を別にして身体を治そうと試みてはならない”と述べている。
しかし、その後フランスの哲学者・デカルトによって、心と体を分離して考える「二元論」が唱えられることになる(「方法叙説」)。それによって近代医学は、次第に「身体偏重の医学」へと急速に傾く結果となるのである。折しも、パスツールの「微生物原因論」によって「細菌学」が確立し、さらにウィルヒョウの「細胞病理学」によって“すべての病気は細胞の病いである”という考えが支配的になる。その結果、医学において身体に重点が置かれ、ともすれば精神面が疎かにされつつある傾向は否めない事実であったと思われる。
これらの反省から、改めて精神と身体の相互作用を見つめ直し、今日言うところの「心身医学」(精神身体医学)へと進展しつつある現状ではなかろうか。(もともと「精神身体医学」の考え方は、古代ギリシャ医学に由来するのであるが、「心身医学」という言葉は、ドイツのハインローズによって1918年に用いられる)。
もとより、「健康」とは“体は健やかに、心は康らかに”という意味である(「易経」)。
この言葉は、明治時代になって福沢諭吉がを「健康」と訳して以来用いられている。江戸時代には、「養生」という言葉が一般的で、例えば、貝原益軒の『養生訓』(1713年)には“心をもって体を養い、体によって心を養う”という「心身一如」の養生の要訣が述べられている。
即ち“養生の術は、まず心氣を養うべし”と述べ、続いて“心は静かにし、体は動かして”と、心の「静」と体の「動」の調和こそが「心身一如」の養生であることを説いている。
さて、この「氣」であるが“百病は皆氣より生ず”、“病とは氣病(や)むなり”と(「養生訓」)。つまり、“氣血がよく流れて滞(とどこお)らなければ氣の働きが充実して病氣にならないし、氣血がうまく流れないで氣の滞りによる現象が「氣滞(きたい)」である”という。
江戸中期の医師・後藤艮山(こんざん)は“百病は一氣の留滞に生ずる”として「一氣留滞説」を唱えている。これは「病因説」として、我国の医学史に特記すべきであろう。
また、感情の起伏(心配・悩み・不安など)が心因性となって身体的不調や諸々の疾患に関連していることは今日よく知られている。
江戸中期の禅僧・鈴木正三(しょうさん)は“喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情あり、この七情より万病発(おこ)れり”(『万民徳用』)と述べているのは実に至言という他はない。
実は、中国最古の医学書『黄帝(こうてい)内経(だいけい)』の「素(そ)問(もん)」に氣の働きが述べられている。“怒れば氣は上る、喜べば氣は緩くなる、悲しめば氣は消える、恐れれば氣は下る、寒ければ氣は閉じる、暑ければ氣は発散する、驚くと氣は乱れる、苦労があれば氣は消耗する、心配ごとがあれば氣はうっ血する”と。
まさしく全て「病」は「氣」から生ずるという先人の深い洞察に共感を覚えるのである。
このように「氣」の不調が要因となってあらゆる疾患を生じさせることになる。従って、「養生」とは「氣」を調整して「氣」を養うこと(養氣)で、これを「摂生」という。
この「摂生」について、中国明代の医師・劉純(りゅうじん)は「摂生の七養生」を述べている。
・言葉を少なくして内氣を養う。
・滋味(味付け)を薄くして氣血を養う。
・津液(唾液)を飲んで臓氣を養う。
・怒りを抑えて肝氣を養う。
・色欲を戒めて精氣を養う。
・飲食を節して胃氣を養う。
・思慮(思い煩い)を少なくして心氣を養う。
このように、養生とは摂生を心掛けて、体内を流れる氣の不調を無くし、常に各々の氣を養い保つことなのである。
人間の心臓は一生の間に約20億回鼓動し心臓の鼓動4回で一呼吸であるから、一生の間に約5億回呼吸を繰り返すことになる。
吐いて吸う一往復45秒のこの“ゆるやかな呼吸”こそが氣を養う「養氣の術」で、「氣」を無駄づかいせず惜しむことこそ摂生の始まりに他ならないのである。
そして、氣を丹田(丹田=不老不死の薬の畑)に集めて、ゆるやかな呼吸こそが氣を養うことになる。昨今の喧噪の世相にこそ、この「心身一如」の養生が求められているのではなかろうか。
老子の言葉を韓非子はこう語っている。
“養生の道は、欲望を節し自然和氣を入れて、天に事(つか)うるに在り”と(「解老」)。
(ねもと・かずお)