北朝鮮のミサイル開発戦略、 「観測衛星」を騙り登録
国連制裁下に宇宙条約加盟
本年2月24日、北朝鮮は、救助返還協定(1968年)、損害責任条約(1972年)という二つの国連宇宙条約に加入することにより、米欧日中印等主要な宇宙活動国すべてが加入する国連宇宙4条約の当事国となった。宇宙の憲法ともいわれる宇宙条約(1967年)と宇宙物体登録条約(1975年)には、すでに2009年3月に加入していた。なぜ、北朝鮮は、1970年代半ばまでに採択されていた古い条約にいまさら加入したのだろうか。
2006年10月に北朝鮮が初の核実験を行った直後、国連安全保障理事会(安保理)は、安保理決議1718号を採択し、北朝鮮がこれ以上の「弾道ミサイルの発射」をしないよう要求した。それが、2回目の核実験を挙行した2009年6月の直後の安保理決議1874号では、「弾道ミサイル技術を利用した発射」の禁止という表現に変わった。
3度目、4度目の核実験に続いて採択された安保理決議2094号(2013年3月)、2270号(2016年3月)も「弾道ミサイル技術を利用した発射」という回りくどい言い方で、ミサイルだけではなくロケットの打ち上げも国連制裁の一環として禁止している。ミサイルとロケットの機能はほぼ等しく、相互に転換可能であるが、目的は武力行使と人類のフロンティア拡大、と全く異なるところが、問題を難しくしている。
北朝鮮は、2度目の核実験が近づく頃から、長距離弾道ミサイルの獲得のための発射実験ではなく、すべての国が実施の権利をもつ宇宙開発の一環としての衛星「打ち上げ」が目的であると強調するようになった(ちなみに、英語では、「発射」も「打ち上げ」も同じlaunchという単語を用いる)。宇宙条約と宇宙物体登録条約に加入したのもその時期であった。
宇宙条約はその第1条で、宇宙の探査および利用は「その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり、全人類に認められる活動分野である」と謳い、すべての国の宇宙活動の権利を明記する。安保理の制裁決議の内容が条約規定と牴触する場合には、国連憲章の規定(第25条、第103条)により安保理決議が優先するが、これは国際法という理詰めの世界の話であり、特定の国に対する「宇宙開発」の禁止は、世界の大多数を占める途上国には一定の違和感と不公平感、北朝鮮への同情をよびさます可能性もあるのである。
2012年12月に北朝鮮が自国の銀河3号ロケットにより光明星3の2号機の打ち上げに成功した、と報道したことに対して、翌13年1月の安保理決議2087号は、前文で「関連する安保理決議によって課される制限を含む国際法に従ってすべての国が有する宇宙空間を開発し利用する自由を認識し」つつも、北朝鮮は、これまでの制裁決議に従い弾道ミサイル技術を使用した発射は、計画することも許されないと結論づけている。
ミサイル技術を利用した発射禁止の確認という結果は変わらないが、宇宙開発の自由自体には言及せざるをえなかったのである。北朝鮮は、同月、宇宙物体登録条約第4条に厳格に従う形式で、国連に「穀物、森林資源、天災等を調査する地球観測衛星」としての光明星を登録している(国連登録簿ST/SG/SER.E/662)。自国の活動は、禁止されているミサイルの発射ではなく、国民の生活を豊かにするための観測衛星の打ち上げであった、と宣言したのである。
ところで、次第に厳しさを増す安保理制裁決議の下にある北朝鮮には、自国の衛星を保有する権利があるのだろうか。禁止されているのは、「弾道ミサイル技術を利用した発射」なので、外国、たとえば友好国である中国の射場から中国のロケットで北朝鮮の衛星を打ち上げてもらうことは国際法上可能なのだろうか。
一連の安保理制裁決議は、北朝鮮との機微技術を含む物資の貿易を禁止する。そして、中国が北朝鮮の衛星を打ち上げるためには、まず衛星を輸入しなければならない。純粋な科学衛星とスパイ衛星にもなりうる高分解能の観測衛星では結論も異なると考えられるので一概にはいえないが、ほとんどの場合、北朝鮮は衛星を外国から打ち上げることも困難だろうと推定される。そういう事態に対する第三国やその世論からの同情を期待するのが、北朝鮮の作戦といえるのではないだろうか。
宇宙の探査・利用は人類の夢を乗せ、全人類にとってのよりよい未来を作り上げるための活動、というのが公式の見解であり、宇宙条約の根本精神でもある。しかし、歴史的に宇宙は軍事衛星を利用して地上での戦闘を有利にするための空間としての価値が大きく、地上の核戦略も、ミサイル発射を探知する早期警戒衛星、ミサイルの精度を上げるための測位航法衛星等々精緻な衛星システムにより成り立っている。地上の核軍縮が進まない限り、宇宙の真の平和利用も困難だというのが事実である。
しかし、宇宙は人類のフロンティアという点も事実である。現実と夢や希望の間の乖離を利用してその行動に合法性の仮面をつけようとするのが北朝鮮の冷静な計算であろう。
(あおき・せつこ)






