文壇のボス、久保田万太郎
久保田万太郎の人物評
好悪が分かれた人物評
「もう、トバ口(ぐち)まで来てるんですよ。運動すればすぐですよ」と久保田万太郎が獅子文六に囁いた。「トバ口」とは今どき聞かない言葉だが、「入口」のこと。「運動すれば芸術院会員になれますよ」と、慶応大学文学部の先輩が後輩に向かって語った。久保田は当時、芸術院第二部長(文学分野担当)。
こういう場合、反応は二通り考えられる。①ありがたい助言と受け止める。②発言に異和感を覚えて反発する。
獅子は②を選択した。「運動すれば……」という言い方は、芸術院第二部長である久保田に向かって運動する、ということだろうと獅子は考えた。そんなことをしたら、一生久保田に頭が上がらなくなる。「だれがそんな損な取引きをするもんか」と獅子は考えたのだ。以上のエピソードは、久保田の弟子と言われる戸板康二(やすじ)の『久保田万太郎』(文春文庫・絶版)に記述されている。
獅子も「損な取引き」と言っているぐらいだから、損得で考えている。久保田の勧めに従って、今の段階で芸術院会員になったとしても、ゆくゆく自分にとって損だ、と思ったのかも知れない。なお獅子は、芸術院会員そのものを拒否したわけではなく、久保田の死後、ちゃんと会員になっている。
獅子は久保田を「吉良上野介のような」と言っているが、実際はどうなのか。戸板康二は同じ本の中で、久保田は相手が喜ぶと思って言っているので、いやな感じを与えたとは全く思っていないはず、と書いている。久保田の囁きを獅子が不快に思うとは想定外のことだった、というのが戸板の見立てだ。ある種の子供っぽさが久保田にはあったのだが、その点を大人である獅子は理解しなかった、と戸板は考えたのだ。
明治22年生まれで、存命なら127歳になる久保田は、今となっては文学史上の人物だが、振り返って見れば、戸板説が当たっているように見える。イヤミに感じる人間もいるだろうが、久保田は根は案外単純な人間のように思える。「運動すればすぐ」などと当人に向かって言う人間が腹黒いとは考えにくい。
もちろん、根はどうであろうが、ボスはボスに違いない。久保田が文壇や演劇界でのボスである事実を認めた上で、「ボスぶりが悪い」と言う人も多かった。ボスが権力を行使するのはわかるが、そのやり方がよろしくない、という意味だ。
戸板のように久保田をよく知る人間はともかく、そうでない人間は、根が優しいとか単純だとかいった細かいことはわからない。ボスというポジションだけに反応する。「ボス」という音(おん)の響きも含めて、久保田に反発する人間も多かったのは自然な話だ。
久保田の活動範囲は広い。小説家、劇作家、俳人と三つの分野で業績を残している。が、今の時点で言えば、俳句が最も重要ということになるだろう。作家久米正雄は久保田の句を、「絢爛たる枯淡」と評している。
5句挙げて見れば、
「神田川祭の中をながれけり」
「高遠(たかとう)の絵島(えじま)の寺の櫻かな」
「死んでゆくものうらやまし冬ごもり」
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」
「鮟鱇もわが身の業(ごう)も煮ゆるかな」
どの句も柄の大きさ、奥行きの深さ、久米の言う絢爛と枯淡にあふれている。いわゆる「俳人」の範疇を超えた久保田固有の世界だ。中でも「湯豆腐」の句については、「現代俳句の戦後の代表作」(丸谷才一)との評がある。
その久保田は、昭和38年5月6日に事故死した。74歳。53年前のことだ。赤貝の鮨を食した後、苦しみ出して窒息死した。事故死なので解剖した結果、赤貝が気管に張り付いているのがわかった。
久保田は東京浅草生まれの江戸っ子だが、鮨や刺身は苦手だった。通夜の席で弟子の川口松太郎が、「ふだん食べない鮨なんか食べたからいけないんだ」と悔やんだ。
久保田が倒れた場所は画家の梅原龍三郎邸。梅原の他にも、小島政二郎、美濃部亮吉、松山善三・高峰秀子夫妻らが同席していた。親しいわけでもない梅原への遠慮が久保田には働いたのだろうと川口は推測している。赤貝にむせたのならその場で吐き出せばいいのに、遠慮してモタモタしたのが命取りになった、というのが川口の言い分だ。
梅原が画壇のボスなら、久保田は文壇のボス。ボス同士遠慮することもなかったのに、とも思うが、江戸っ子は見た目とは逆に、案外気弱なところがある。
そう言えば、ここ40年ぐらいの間にボスと言われる人物は少なくなった。文壇も芸術院も、一人の特定の人物が「さて、空いたポストは誰に与えようか……」などと言う雰囲気はなくなった。より官僚的・事務的にことが進むようになった。特に文壇の変容は大きく、背景となる出版業も、右肩下がりが止まらない。久保田のような人物が登場する機会は少なくなるばかりだ。
今から思えば、久保田はノンキな時代に亡くなった。だが、あちこちでボスはいなくなっても、ボスと呼ばれた彼の俳句は、死後半世紀を超えてなおしっかり残っている。
(きくた・ひとし)






