科学の波に抗った女性学者
生命は身体だけに非ず
生物学者、医師が60年代に
1960年代は地球規模の経済発展に沸いていた時代である。アメリカの好景気とヨーロッパの経済統合の進展、戦後復興を遂げた日本経済も急速に拡大し、驚異的な高度経済成長とそれを下支えする科学技術への信頼に輝いていた時代である。このような60年代にあって、時代の波に抗(あらが)いながら異彩を放った女性をアメリカとイギリスに見いだすことができる。一人は、『沈黙の春』で環境問題に人々の目を向けさせた海洋生物学者レイチェル・カーソンであり、もう一人は、世界初のホスピスを創設し、終末期医療に人々の目を向けさせたイギリス人医師シシリー・ソンダースである。
カーソンは62年に出版した『沈黙の春』の中で、農薬など化学物質の大量使用によって自然環境の多様性や循環性が根底から奪われている事実を示し、鳥の鳴き声も聞こえない春の訪れになると警鐘を鳴らした人物である。彼女はその最終章で我々に迫る。「私たちは、今や分かれ道にいる。どちらの道を選ぶべきか、今さら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、素晴らしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちは騙(だま)されているのだ。その行き着く先は、禍であり破滅だ」と。そこには、生物学者として科学的根拠に基づいて書き上げたことへの確信と、幼いころより大自然の懐に抱かれて生きてきた者の持つ生命への畏怖がある。
他方、ソンダースは、67年に世界で最初のホスピス施設である聖クリストファー・ホスピスをロンドン郊外に創設する。我々は今日、至るところでホスピスとか緩和医療ケアという言葉を耳にするが、まだ半世紀ほどの歴史なのである。彼女は、自身が看護師とソーシャルワーカー時代に経験した末期患者の置かれた惨状と医師の態度について次のように回顧している。「医学の仕事とは病気を治すことであり、治せないとき、医者は失敗したと感じるのだ。医学は解答を与えるべきものだ。だが、死にゆく人に与えるべき解答を、医者は持ち合わせていなかった。(略)医師は死を迎えつつある患者をできるだけ避けようとした」と現代医療の本質を見抜き、そこから一念発起して医師を志す。
ところで、農薬散布に警鐘を鳴らす生物学者と、ホスピスケアを立ち上げたイギリス人医師との間に何の関係性もないように思うかもしれない。しかし、60年代を生きたという同時代性とともに、二人の底流には共通する精神性があるように思うのである。二つの視点からまとめたい。
一つには、人間存在や健康観に対する見方の転換である。60年代は言うに及ばず、つい最近まで、人間の死は医療の敗北でしかなかった。もう少し丁寧に言うと、人間の身体的死は医療の敗北という方が正しいかもしれない。ソンダースやカーソンの特筆すべき点は、科学者でありながらも人間は単に身体だけで生きている存在ではないと喝破したところにある。末期患者は自己の死を目前にして、底知れぬ不安と恐れと孤独感に苛まれているものである。そのことを医療者が受け止めずに身体的処置に終始することは悲劇でしかない。たとえば、聖クリストファー・ホスピス財団の綱領には、「そこにいるすべての人々(患者にも患者以外の人々にも)に対して霊的な援助と指導を提供し、また提供することを援助し促すことによって、或いは苦しんでいる家庭に行き働くことによって苦痛の緩和を促す」と記されている。ここには、人間は単に身体的存在であるものではなく、精神的で霊的な存在でもあること、そこまで視野に入れた全人的ケアこそQOL(いのちの質)の本質であるという認識がある。一方、科学的知見を重んずるカーソンも、その後の著書である『センス・オブ・ワンダー』では、自然や世界の不思議さ、いのちの神秘さを語り、人間は可視的な姿以上の存在であることを訴えかけている。
二つめは生命への畏敬である。カーソンとソンダースを結びつける強い精神は、シュバイツアーの「生命への畏敬」ではないかと思う。以下に、カーソン15歳の時に書いた自然探検のエッセイと、ソンダースが患者から霊感を受けたという文章を紹介したい。「そして、行き着いたのは、香しいマツ葉が敷きつめられた、なだらかな丘。パルと私が見つけた二人だけの場所、そう考えると、ぞくぞくするほど嬉しくてなりません。聞こえてくるのは、梢を鳴らすそよ風と、遠くから響くせせらぎだけ。威厳に満ちた静寂に、畏敬の念さえ感じられます」(カーソン)。「人生の様々なしがらみが取り払われていくにつれて、彼らは実に素朴で情愛に満ちた様子になっていきます。そして、時には一瞬彼らが向こう側から戻って来たのではないか、来るべきものを何か見て来たのではないかと思えることさえあります」(ソンダース)。
60年代に、時代に抗っていのちの真実さを問い続けたカーソンとソンダース。それから半世紀が経過したが、今日の時代の様相は一層複雑になり深刻さが増している。そうであればこそ、この潮流に抗う第二のカーソンやソンダースよ立ち上がれと、天から二人が呼びかけている気がするのである。
(かとう・たかし)