オバマ米大統領の広島訪問
日本人は謝罪を求めない
米研究者と語った原爆投下
オバマ米大統領が5月27日に広島を訪問することが決まった。
私は原爆投下70周年を期して、昨年、アメリカ人歴史学者ハリー・レイ氏と共著で、原爆投下をめぐる受け止め方の日米の違いをアメリカ人と日本人とで初めて語り合った本を出版している。『日本人の原爆投下論はこのままでよいのか』(日新報道)という本であるが、思いがけないことに、オバマ大統領はこの本を読んで、広島訪問を決断したかもしれないのである。
もともと、この本は、原爆投下について、日本人が、戦争後のソ連を牽制するために投下する必要がないのに落としたと受け止めるばかりで、原爆投下によって多くの人が助かり、日本はソ連が入ってきて分断国家になる悲劇を回避できたのだということをまったく認識しようとしないのは問題であるというハリー・レイ氏の主張が中心になっている本である。
確かに、もし1945年7月16日に行われた原爆実験が失敗に終わり、原爆が開発されていなかったら、広島、長崎の原爆投下はなかった。しかしそのかわり、本土決戦は必至となり、そのためにより多くの日本人とアメリカ兵が死に、さらにソ連による本土侵攻もほぼ確実で、日本は分断国家になっていたはずである。
しかし、同年8月6日の原爆投下の時点では、日本は降伏する意図を固めており、ソ連にその仲介を求めていたことは、日本の外交電報の解読で、アメリカ政府首脳はよくわかっていた。仲介を頼まれたソ連もそのことをトルーマン大統領に伝えたのだからあまりにも明白である。つまり確実に日本の降伏する意図を知っていて投下したのであるから、不要な投下であったという日本側の反論も明らかに成り立つ。
どうしてこのようにどちらも正しいのに互いに拒絶し合う見解が出てくるのか。
その究極の回答こそ、大統領ルーズベルトが敷いた無条件降伏方式である。1945年2月、ヤルタで、ソ連の日本侵攻が確実になった段階で、イギリスの首相チャーチルはルーズベルトに、ソ連が対日戦に加わることになったことを明らかにして日本に降伏を迫ったら、早く戦争を終わらせることができるのではないかと問いかけたが、ルーズベルトは言下に拒否した。
その大統領が4月12日急死する。トルーマンが大統領になるが、トルーマンとしてはこの無条件降伏方式を引き継ぐ以外に選択はなかった。それはアメリカ国民が無条件降伏方式を強烈に支持していたからである。
ではなぜアメリカ国民は無条件降伏方式を強烈に支持したのか。それは日米開戦における日本海軍の真珠湾「騙し討ち」に激怒していたからである。
本来は真珠湾攻撃の30分前に、「最後通告」を手交することになっていたが、ワシントンの日本大使館における事務失態によって奇襲開始の約1時間後に手渡した。ルーズベルトは事務失態によって手交遅延が起こったことを事実上は知っていたが、国民は誰1人としてそのことを知らなかった。そのために日本は卑怯な「騙し討ち」を作戦的にしたと思い込んでいたのだ。
結局それが原爆投下まで戦争が続く原因となった。トルーマンは長崎に第2発目の原爆を投下した直後、ラジオを通じて「我々は予告なしに真珠湾で我々を攻撃した者に対して、またアメリカ人捕虜を餓死させ、殴打し、処刑にした者や、戦争に対して国際法規に従う振りも示さなかった者に対して、原爆を使用したのだ」と述べた。真珠湾の「騙し討ち」は明らかに原爆投下につながっていたのだ。
しかし、それでもルーズベルトが無条件降伏方式を敷かなければこのような原爆投下まで戦争が続くことはなかった。
だが、他方、日本にも未解決な問題がある。戦争のこのような悲惨な展開に責任のある「最後通告」手交遅延の責任者の責任を問うてこなかった。それどころか、その直接の責任者2名は戦後、外務省の事務次官に栄達し最高の勲章を授けられて今日に至っている。
日本側にこのような問題がある中で、1991年真珠湾50周年の際、時のブッシュ大統領は、真珠湾の「騙し討ち」について日本はもはや謝罪しなくてよいと言った。
真珠湾の問題と比較にはならないかもしれないが、オバマ大統領が広島を訪れたときには、我々日本人は、謝罪を求めたりはしないであろう。日本人はこれまでも謝罪を求めてはこなかったし、これからも求めないであろう。そのうえさらに日本人は、強要した謝罪は本当の謝罪ではないことをよく知っているからだ。
そのうえで、やはり原爆慰霊碑を訪れ、そして、今後決して使われてはならないこの兵器が再び人類の頭上に投下されることのないよう、その洗礼を受けた犠牲者に対して、全人類の立場から、その霊を慰めてほしいのだ。
(すぎはら・せいしろう)