戦後東西独・日と人口増減

尾関 通允経済ジャーナリスト 尾関 通允

諸需要と不可分の関係

難民、復員、引き揚げで移動

 第二次世界大戦後のドイツは、米英仏ソの戦勝国による分割占領の後、ソ連支配下のDDR(ドイツ民主共和国=東独)と西欧の一員としてのBRD(ドイツ連邦共和国=西独)の分裂国家として、それぞれ新発足した。ところが、東から西への避難民が絶えない。

 背景は、西独が副首相を兼任するルートヴィヒ・エアハルト経済相の主導する社会市場経済政策と米国のマーシャル・プランによる経済援助の相乗効果で着々と経済再建に成功したのに対し、東独は一部主要生産設備の賠償の名によるソ連の収奪に加えて、社会主義国家建設のために工業の国有化を進め、農業は集団農場化を推進するなど社会主義経済運営の非効率が重なり、経済再建は遅々として進まないことだった。また、東独を含むソ連支配圏には思想・信条・政見の自由がなかったことのせいも、もちろん大きい。

 東ベルリンから西ベルリンへ――を中心に、東独から西独への難民脱出が相次いだ主因はこのことだった。難民の数は毎週5000人前後から多い週には7000人前後に達した。東独の人口は万単位で減る一方、経済再建に著しい成功を遂げつつあった西独はこれを受け入れ、人口は増加し、住居と働き場の面倒まで助成を惜しまなかった。

 ドイツ史に長く残るであろう「ベルリンの壁崩壊(1989年)」と、それに先立つ1961年の壁構築も、国家運営の適切・不適切と人口問題が密接にかかわっていることを、はっきりと語っている。

 旧東独が旧西独による吸収合併の形で消滅したことについては、社会主義思想に基づく政治・経済・思想・信条への公的介入が、まともに生きようとする人間の本性と相容れないことの明々白々な具体的証明というべきだろう。と同時に人口問題が一国の運営に経済負担をも含めていかに強い関わりを持つかをも示している。

 旧西独が旧東独を吸収合併するための負担の額は、残念ながら把握できなかった。ただ、ボン在住の親しいドイツ人によると、いくら投入しても「“もっともっと”と大変な額になる。全く切りがない」とのことだった。

 とは言いながら、先の大戦で敗北して数年間の日本に比べれば、旧東独吸収合併のための西独の負担は、まだ軽かったに違いない。日本の場合、米軍による無差別爆撃で、軍需工場ばかりか都市というめぼしい都市の一般民家も多数焼失、生活維持に不可欠の飲食料品はもとより戦時中の軍需優先で衣料や薬品ほかの日用品の入手も全く不自由、戦争中の“ヤミ価格”が敗戦とともに爆発的に表面化し、恐るべきインフレの進行になった。

 ただでさえ食糧不足・物不足のところへ、戦地からの復員兵や海外からの引き揚げ家族などが重なって、インフレは爆発的なすさまじいものになった。例えば失業者があふれ、家も親もなくなった浮浪少年の群が東京や上野の駅構内などで夜を明かし、昼間は「靴磨き」ほかで生活費を稼ぐ姿もあった。占領軍兵士に身を売る娼婦も珍しくはなかった。半面、多くの農家は食糧品を売り惜しんで価格のつり上げに動いた。

 「もはや戦後ではない」との名文句で評判になった政府の経済白書は、昭和31年(1956年)のこと。敗戦後10年がかりで、一部例外は残るものの経済の多くの分野で需要と供給のバランスが回復してきたことになる。

 こんな話を長々と述べたのは、一国の人口と諸需要ならびに商品・サービスの供給との間に、わかり切ったことながら重要かつ不可分の関係があることを、改めて強調したかったからである。

 旧東独の消滅も、日本の潜在的インフレ(大戦中)と爆発的インフレ(戦後期)も、ともに極端な出来事で、滅多に起こり得ることではない。とはいえ、人口の予想外の変動が一国ないし関連数カ国の運営に想定外の影響を及ぼす事態は、ときに起こり得る。現に、中東や北アフリカからの難民続出に西欧各国が困惑している。人種も言語も信仰も生活習慣も違うだけに、難民の扱いが容易でないことはもとより、受け入れに伴う経済負担も軽くはないに違いない。

 これに対し、今日の日本が直面しているのは人口の減少が進んでいることである。今年1月の成人式を迎えた若者は120万人をようやく上回るかの程度。4日に総務省が「こどもの日」に合わせて発表した15歳未満の子供の推計人口は1605万人で最少を更新、35年連続の減少である。このままいけば日本の総人口が1億人を割る日も遠くあるまい。

 加えて高齢化も進行中で、要介護人口も漸増中である。人口構成の推移からすると、近い将来に困ったことになる恐れは決して小さくない。経済は拡大均衡路線から縮小不均衡路線に転落する心配が強い。

 そうなるとすれば、国内市場の縮小も必至で財政再建も一段と覚束ない。高齢者の増加に伴う負担も増え、国の将来が危うくなることも免れない。危ういかな日本国――である。人口問題への関心の必要を強調してやまぬ。

(おぜき・みちのぶ)