サリン事件の教訓とテロ対策

濱口 和久拓殖大学地方政治行政研究所客員教授 濱口 和久

筋違いな災害派遣命令

法・組織整備し指示適切に

日本最大のテロ事件

 平成7(1995)年3月20日午前8時ごろ、東京都内の営団地下鉄内(現在、東京メトロ)で神経ガスのサリンを使用した同時多発テロ事件が起きた(地下鉄サリン事件)。この事件では13人が死亡、負傷者は約6300人にのぼり、現在も後遺症で苦しんでいる人が多数いる。

 大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初の無差別テロ事件は、日本国内だけでなく世界中を震撼させた。平成6(1994)年には長野県松本市で8人が死亡、660人が負傷する松本サリン事件も起きている。

 一連のサリンを使用したテロ事件を起こしたのは、麻原彰晃こと松本智津夫が設立した宗教団体のオウム真理教だ。麻原は本気で日本転覆を考えていたようで、様々な兵器を開発する過程でサリンの製造を行っていた。

 だが、麻原の計画に狂いが生じ始める。読売新聞(平成7年1月1日付)が、教団本部がある山梨県上九一色村から「サリン残留物が検出された」と書いたのだ。麻原は警察による教団本部への強制捜査が近いと判断し、強制捜査を阻止するために地下鉄サリン事件を実行したのである。

 なぜ、「治安出動命令」が出なかったのか

 警察、消防は地下鉄サリン事件発生後、ただちに救急救命活動のため出動した。「異臭がする」「倒れている人がいる」などの通報を受けた警察官や消防官の多くが、サリンに対してまったくの無防備状態で地下鉄構内に飛び込み、救急救命活動に当たったため、警察官や消防官にも多数の被害が出る。搬送先の病院では、負傷者に付着したサリンが気化するなどして、医療スタッフにも2次被害が出た。

 自衛隊の部隊で出動したのは、市ヶ谷駐屯地の陸上自衛隊第32普通科連隊だ(現在、市ヶ谷に防衛省が移転してきたため、32連隊は大宮に移転している)。

 現場指揮官として、地下鉄サリン事件の対応にあたった連隊長の福山隆1佐(当時)が退官後の平成21(2009)年に出版した『地下鉄サリン事件戦記』(光人社)には、そのときの連隊内部の騒然とした様子が描かれている。

 詳しくは『地下鉄サリン事件戦記』を読んでほしいが、福山氏はこの中で、自分の部下たちを送り出すに際し、次のように回想している。

「毒ガスが散布され人が死亡しているというのに何故『治安出動命令』ではなく『災害派遣命令』なのか?(中略)毒ガスを散布するような犯人は、常識では考えられない暴挙をしでかすと考えた方がいいだろう。犯人たちは、地下鉄に毒ガスを散布しただけでは満足せず、引き続き人が集まる場所に毒ガスを撒き散らしたり、銃や爆弾を用いて無差別テロを継続するかもれない。(中略)災害派遣命令で出動する場合は、法的に小銃や拳銃(弾薬を含む)は携行できないので、万一、そうなった場合には、市民を守ることはできない」。

 福山氏が心配するなか、上級部隊である第1師団司令部から「32連隊は、日比谷駅、霞ヶ関駅、築地駅、小伝馬町駅の計4カ所に除染隊を派遣せよ」という命令が下りる。午後1時30分、除染隊は市ヶ谷駐屯地を出動していった。そして、除染任務を無事に終えると、深夜になって三々五々、市ヶ谷駐屯地に凱旋する。

 その後は、オウム真理教による新たなテロや軍事作戦は起きなかった。だが、その後の警視庁の捜査によって、自動小銃1000丁を製造しようとしていたことや、空中からのサリン散布、国会襲撃などを計画していたことが明らかになった。

 オウム真理教が計画通りに新たなテロや軍事作戦を展開していたら、一般市民にもさらなる犠牲者が出ていたに違いない。想像しただけでもぞっとする。そのとき、村山富市首相(当時)が適切な命令・指示が出せたかは、甚だ疑問が残る。

 新たなテロへの備えは万全か

 人類史上初の化学テロであるサリン事件が起きても、自衛隊を「災害派遣命令」として出動させたのは、社会党党首の村山富市氏が首相を務めた政権だった。

 同じ年の1月17日に起きた兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の初期対応でも、村山政権は失態を演じ批判を浴びた。歴史が示すように、国家が危機に瀕したとき、無能なリーダーの存在は、国民を不幸にする。今年の3月11日で東北地方太平洋地震(東日本大震災)が起きてから丸5年が経つが、菅直人首相(11年当時)も適切な命令・指示が出せないまま、被害を拡大させたことは周知の通りである。

 話をテロに戻すが、現在も、海外でテロが頻発していることを考えれば、日本国内が「イスラム国」(IS)や、その他の過激派組織の標的となるケースが今後想定される。「第2のオウム真理教」が出てきてもおかしくないと私は思う。5月には三重県で伊勢・志摩サミットが開催される。2020年には東京オリンピック・パラリンピックも開催されるが、日本のテロ対策(法制・組織)は万全といえるのか。

 サリン事件から20年以上が過ぎたいま、日本国内で新たなテロによる犠牲者が出ないことを祈りたい。

(はまぐち・かずひさ)