独立国は平和を守る軍備を

竹田 五郎軍事評論家 竹田 五郎

憲法学者は改憲に立て

防衛手段がないGHQ憲法

 1月20日、東京新聞朝刊は、「立憲政治取り戻す」と題し、安保関連法成立後4カ月を迎えた同19日、同法に反対してきた学者、弁護士、ジャーナリスト、芸能人らが「立憲政治を取り戻す国民運動委員会」を設立したことを報道した。また、これに関連して同紙は、国会周辺で同法の廃止を求めた「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」主催のデモの状況を報じ、70代の参加者の「夏の参院選で、反対派が多数当選するように」などの意見を紹介した。

 同22日の朝日「天声人語」は、前述の「国民運動委員会」を紹介し、立憲主義の大切さを次のように強調している。「民主主義という仕組みは必要不可欠だが、十分ではない。歴史上、民主的に選ばれた政権が専制的な政治を始めた例は多い。人権の抑圧のように、時の多数派であっても決してしてはならないことを憲法で決めておき、民主主義の暴走を防ぐのが立憲主義だからだ」。これは正論であろう。しかし、続いて、「委員会はまさに『立憲主義の否定、民主主義の暴走』と、安保法制を断じる。…」と述べ、政府の安保法制定を、立憲主義に反するとして、暗に「委員会」を応援している。

 しかし、事実は異なるのではないか。立憲主義の否定を論ずる前に、現憲法の制定の経緯、内容につき妥当か否かを検討すべきであろう。それは「降伏後における米国の初期対日基本方針」に基づき、占領軍司令官マッカーサー元帥がGHQ(連合国総司令部)職員25名に作成を命じ、僅か1週間程度で作成された原案を直訳したものである。占領軍による憲法の強制は戦時国際法に違反しており、極言すれば、日本を弱くし自国の保護国化を企図したともいえようか。したがって現憲法第9条は、軍備かつ交戦権をも放棄し、自国防衛の手段を欠き、無防備である。それでは国家の独立はあり得ない。

 また、「民主主義の暴走」との意見も納得できない。政府は本法案を昨年の通常国会の最重要法案として十分な審議日程を確保するため、戦後最長の95日間延長した。しかし、野党は「平和ボケ」の国民世論に便乗し、マスコミもこれを「戦争法案」と決めつけ、特に、ほとんどの憲法学者はこれを違憲と批判したために「違憲」「合憲」の神学論争を繰り返し、目下の国際情勢の悪化に現憲法で対応の可否といった肝心の論議はなかった。

 「立憲政治を取り戻す国民運動委員会」代表世話人の小林節慶応大学名誉教授は、昨年の通常国会において参考人として「字面に拘泥するのが、私たちの仕事で、それが現実の政治家の必要とぶつかったなら、それはそちらで調整なさってください」と、述べた。これに対し、政府側の反応はなかった。政府はこれを好機として、憲法9条第2項冒頭にある「前項の目的」について芦田修正の経過につき、別途、国民に説明し、広報すべきであったと愚考する。

 第9条の字面に拘泥すれば、自衛隊として武力集団の保持も、自衛戦争もできない。これを危惧し「前項の目的」について挿入した芦田修正の経緯、目的(自衛能力の保持)については憲法学者も十分理解されていよう。憲法学者は自衛隊を似非的軍と認めているが、国際的には軍と認識されている。自衛隊発足は、いわゆる解釈改憲である。

 自衛とは単独自力防衛ではない。国連憲章第51条は、集団的自衛権は国の固有の権利と規定している。が、日米同盟は片務協定とも言われる。米国は軍事力を提供し、日本は憲法を理由に基地を提供するのみで、米軍の作戦に自衛隊は後方支援に限定して、戦闘参加を拒否してきた。新法制では、自衛のための必要限度を判断し、派遣地域等を定めるように厳しく抑制している。換言すれば、自衛のための日米共同作戦である。

 憲法学者は、険悪化する国際情勢、特に、国際法に反し、「中華大国の夢」の実現に邁進する中国の脅威に対して、集団的自衛権の行使を禁じて、日本単独で安全を確保できると信じているのだろうか。筆者は旧陸軍将校として、先の大戦に参加し、共に戦った多くの戦友や部下を失い、悲惨な戦争を体験し、切に平和を望む。しかし、戦後も自衛隊に勤務し、人生のほとんどを軍事専門としてきたため、一般にタカ派と見られていよう。2月本欄で述べたが、日本単独での専守防衛戦略では、祖国の安全と平和は保持できない。改憲の第一歩は、9条第2項の削除そして再軍備体制の法整備である。

 立憲主義の危機を憂えるとの理由で新安保法制を廃止することは戦争抑止力の退化であり、対日侵略の誘因となる。不戦を誓い、平和を祈るだけの「平和ボケ」のわが国では、戦争を全て悪とする風潮があるが、正義の戦争もあることを学ぶべきであろう。

 改憲は急ぐべきであるが、現憲法は改憲の発議すらも議員総数の3分の2を必要とする。憲法学者こそ戦争を学び、改憲の魁(さきがけ)に立つべきで、それまでは政府憲法解釈に反対する護憲派への支援を避けるべきであろう。

(たけだ・ごろう)