ガリ元国連事務総長を偲ぶ
真に国連改革を目指す
東郷神社を参拝した親日家
国連の第6代事務総長を務め、国連の本来の姿を確立しようと国連の独立性と平和構築に努めたブトロス・ガリ元事務総長が今月16日93歳で他界された。ソ連の崩壊と冷戦時代の終了後、国連を中心とした世界秩序を構築しようとし、大国による国連の私物化を阻止するために本格的に国連改革を目指した偉大な人物であった。
ガリ氏の死去に対し、国連の潘基文事務総長は故人を称え、「ガリ元事務総長はPKOの活動を飛躍的に拡大させ、冷戦終結後に世界がさまざまな問題の解決を国連に求めていた時代に国連を率いた全ての加盟国と勇敢に向き合い、国連の事務局の独立を守り使命の達成に邁進した。その足跡は消えることはないだろう」という声明を発表し、功績を称えた。
また、エジプト大統領は国営テレビを通じて声明を出し、「長い国際政治のキャリアを通じて国際法や人権の分野で大きな貢献をした人物をエジプトと世界は失った」と追悼の意を表した。
「全てのエジプト人に対し、模範を示し祖国に尽くしてくれた」とその功績を素直に称えた。この2人の人物の声明文からも分かるように、ガリ元事務総長は立派な愛国主義者であると同時に健全な国際人であった。
私は幸いにしてガリ元事務総長退任後に2度ほど直接お目にかかる機会に恵まれた。ガリ元事務総長は日本人と日本文化に対しても造詣が深く、極めて親日的な方であった。1998年の来日時、同行して東郷神社へ参拝された時のことを今でも鮮明に脳裏に浮かべることができる。
彼はイスラム国家生まれでありながらキリスト教徒であったので、なぜ東郷神社を参拝なさるか好奇心で尋ねたことがある。その時ガリ氏は「私は幼いとき白人の体格の良い厳しい家庭教師兼乳母の教育を受けたことがある。その頃、私は白人は強いというイメージを持っていたが、東郷元帥がロシア艦隊を破ったことを知り、我々有色人にも強い方がおられることに衝撃的な感銘を覚えた。後に機会あるごとに、エジプトの外務大臣を務めていた時も国連事務総長を務めていた時も日本に来る機会があれば、必ず参拝していた」と話して下さった。
また、神社においても靴を脱ぎ神道の作法に則って参拝されたことにも大変感銘を受けた。ただ、残念ながら私は日本のメディアにおいてガリ元事務総長がたとえ私的とはいえ日本の神社、特に東郷神社を参拝したというベタ記事も見なかった。これには落胆した。
ガリ元事務総長は、冷戦が崩壊する契機をチャンスと見て国連中心の世界秩序と国連本来の使命がある平和構築と平和維持に積極的に取り組み、アジェンダフォーピース(平和への課題)、平和創造と平和維持、予防外交などを柱とする分厚い報告書をまとめた。私は現在、先の戦争の勝利国のみが国連の安全保障理事会で拒否権を持ち、それぞれの国が自国の利益を促進し守るために濫用していることが改善されることを心から期待し、当時積極的に学生たちにもこの報告書を読ませた記憶がある。
ただ、残念ながら彼のこうした考えに基づき、国連が軍事力を行使することも前提にしたPKO活動は、主導権を譲らない超大国アメリカや色々な思惑を持った中国などの反発を受けた。結果的に、安全保障理事会によって本来慣例である2期任期を妨げられ、空しくも途中で放棄しなければならなかった。彼の後任として同じアフリカ地域から、アメリカに都合の良いコフィ・アナン氏が選出され、国連の真の改革は後退することになった。
これはガリ氏個人の敗北というよりも、国連に大きな期待を掛けた多くの国々や人々にとっても、大きな挫折であったと言える。コフィ・アナン氏は大国にとっては都合の良い有能な官僚であって、国連に対する夢も情熱もない人物であったと言える。私の記憶が正しければ、アメリカは国連の分担金など滞納することによってガリ元事務総長の国連独自の活動を妨害するとともに、国連の権能強化を巧みに阻止した。
コフィ・アナン氏に続き潘基文事務総長も独立自尊心に欠け、大国、特に中国の抗日勝利70周年などに出席するほど、公正公平並びに国連としての自尊独立を軽んじている。事務総長が退任時期に来た今こそ国連はドラスティックな改革を必要としており、そのためにはダグ・ハマーショルドやウ・タントそしてブトロス・ガリの各氏ような人物が後任に選出され、国連が果たすべき役割を推進でき尊敬に値する人物が選出されることを切に願いたい。
少なくとも一部で噂されている、現在のユネスコ事務局長のイリーナ・ゲオルギエヴァ・ボコバ氏のような人物が選ばれることになれば、国連は存在意義を失うだろう。ここで改めてガリ元事務総長のご冥福を祈り、彼が目指した国連の遅すぎる改革が一日も早く実現することを併せて祈念したい。