世は魂の成長のための学校
映画やドラマに典型例
ウィルコック氏の著作から
今、私が翻訳を試みているデイヴィド・ウィルコックの『シンクロニシティ・キー』は、我々の生きている宇宙がどういう構造をしていて、どう動いているかを考える大規模な論考であるが、この場合、宇宙とは物理学者の考える宇宙ではない。この宇宙は無生物も含めて一つのつながった生命だというのが彼の前提だから、単なる物理学的な宇宙ではない。
それは我々の魂とつながった生きた宇宙である。シンクロニシティ(共時現象、意味のある偶然の一致)という神秘的な現象は、そのつながりを我々に気付かせる何か目に見えないものの働きとしか考えられないものである。私が何かを真剣に考えていると、それに答えてくれるようなことが、思いがけない、ときには笑えてくるような形で起こるということには、何か宇宙的な意味がなければならない。
我々はこの宇宙のすべては偶然だと教え込まれているから(ダーウィン進化論教育がその典型)、これも偶然で片づけたがる。しかしそうではなくて、この宇宙には目的があって、それが私を通じて開示されたと考えたときに、世界は一変する。私はこれまで考えていたような、孤立した、見捨てられたかのような私ではなくなる。私はこの世界に対して責任があると気付く。宇宙との一体感が生ずる。これがウィルコック哲学の前提になっている。
では宇宙の目的とは何か? それは私の目的でなければならない。私の目的とは何か? それは私の魂の成長、進化でなければならない。我々は何のために生まれてきたか? 何をしに来たのか? それは我々が霊的に向上するためである。
そしてこれはこの世だけでない、あの世まで続く。この本の第8章は「死後世界のマッピング」と題されて、死後世界での我々の旅の道程が詳細に述べられているが、ひと言でいえば霊界とは魂の学校である。我々は、自分の本来のあり方を学びながら進級する。そしてこの世でそれに全く背を向けていた者、本来のあり方に逆行する自己中心の生き方をした者、他者を苦しめて繁栄を図った者たちは、見捨てられるのでなく、進級が大きく遅れるのだという。どこまでも愛が原理だからである。
しかし、この地球人が全体として目覚めるまで、すべての魂が、何度も肉体を取ってこの世界に生まれてくるのだという。そしてこの世界で与えられる困難と闘いながら、繰り返しまた同じ勉強をする。この世界は何かを習得するためにある。我々は必ず何らかの困難や苦通を与えられるが、それは罰や復讐のためでなく、それを通じて進化・成長させるためである。復讐という言葉は神の語彙(ごい)にはない。あくまで悟らせること、魂の向上が目的である。結局、我々はこの世とあの世を通じて学校に通いづめである。しかしそれが宇宙の法則であって、学校嫌いは許されない。
ウィルコックのこの本の魅力の一つは、劇(特に映画)の分析である。これは彼自身の体験を踏まえているので面白く、説得力がある。映画やドラマはすべて基本的に同じストーリーであり、興行的に成功するためには、ある法則のようなものに従わなければならないという。
成功した映画でルールに従わなかった稀な例外もあるが、すべての商業的脚本は、明白な欠点をもった主要人物すなわち主人公から出発しなければならない。ストーリーは、この人物が個人的な弱点を抱えて進みながら、彼あるいは彼女が、世界で何よりも欲しいと思っている一つの目標を手に入れる過程で起こる、変化についてである。我々のすべては本能的にこのコンセプトに共鳴する。これは我々が、受肉と受肉の間で自分自身に課する目標の、集合的な無意識の記憶のようにみえる。我々は、自分がここにいるのは、成長し進化し、自分の欠点を乗り越えて霊的成熟のより高いレベルに到達するためだという、深い無意識の知識をもっている。
面白いことにハリウッドは、決してこれを明かさないが、このルールあるいはパターンが他のどんな要素よりも重要なことを知っていて、これを中心にして脚本を評価するコンピューター・プログラムが開発されて、観客動員数をほぼ正確に予想できるのだという。
我々がこの世に繰り返し生まれて、生きる目的は、自分の欠点――自己中心、憎しみ、傲慢、貪欲、無知――とそれが招くあらゆる災難や苦痛から、つまり繰り返される同じ経験から同じ教訓を学んで、霊的に成長することだということを、誰もが本能的に知っている。だからあらゆる人々が――信仰者・無神論者を問わず、文化や時代を超えて――この意識の底にある知識に訴えるストーリーに無限に引き寄せられ、何回でも同じストーリーを聞きたがるのだという。そしてこの普遍的なパターンは個人だけでなく、集団的・歴史的にも起こっているのだという。
そんなことは宗教的観点であって現実は違うだろうと言う人は、科学的実証を重んずるこの本を、ぜひとも読んで判断していただきたい。(敬称略)
(わたなべ・ひさよし)