憲法9条で盲信する「平和」
軍事力を誇示する中国
安保法に「戦争法」論は誤り
現憲法公布から69年が経つが、第9条による国民の「平和ボケ」は強く、9月19日未明に参議院において野党の強い抵抗を排して成立した安保法により我が国の安全保障は強化されたにもかかわらず、これを共産党など一部党派は「戦争法」と称し、世論調査での賛成が過半数に届かない。
安保法制の審議は、法制面が主で、国の安全保障については、残念ながら十分論議されなかった。ある評論家は、「日本の安全保障は、米国の傘の下で、憲法第9条に基づき行動し、平和を保持してきた」と述べていた。事実、これは正しいが、安全保障は将来をも予測すべきで、「日本は戦後70年間は幸運にも恵まれ、日本周辺に紛争は少なく、米国の絶大な軍事力を対日脅威に対する抑止力とし、自衛力の強化に努力した結果である」と言うべきであろう。
安保法制は対日脅威国への抑止力強化を目的としたものである。マンデス元仏首相は「統治するとは、選択することである」と喝破した。しかし、野党、特に民主党は、安保法案に反対した憲法学者の「違憲論」やマスメディアが鼓吹した「戦争法論」に便乗し、これに日本国憲法は世界に誇るべきだと盲信した「9条を守る会」等の支援もあり、激変する国際情勢への具体的対案を提示しなかった。敗戦後、平和を享受してきた国民の「平和ボケ」の中で、「安保法廃止」を反戦平和運動として煽動し、今後も続行するのだろうか。
違憲であれば、憲法改正をするのが正当であろう。憲法制定当時、世界の人々は世界平和を切望した。しかし、その後も、戦争は根絶されず、他国の公正と信義に信頼し、国の安全保障を寄託し得る情勢ではない。
9月25日付の産経「正論」に「9条めぐる神学論争に終止符を」と題し、西修駒大名誉教授は9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」を挿入した「芦田修正」に触れ、「第2項で自衛戦力(軍隊)を保持しうるという解釈ができるようになった」と説明している。また、「成立した安保法制は、集団的自衛権の行使といっても、……きわめて抑制的である」と論述した。
「読めばわかる『憲法改正』」(梶山茂著)でも「芦田修正」が詳述されているが、その一端について紹介しよう。昭和32年12月5日、芦田均本人が内閣憲法調査会総会で「第9条2項が原案のままでは、わが国の防衛力を奪う結果となることを憂慮した。しかし、GHQはどんな形をとっても、戦力を認める意向はないと判断していた。…『前項の目的を達するため』という字句をいれた…」と、述べている。安保法を「違憲」と考えた憲法学者は「芦田修正」について検討されたのだろうか。
戦争を起こさせないための抑止力強化といっても、その対象とする対日脅威について国民の理解が必要である。しかし、具体的に国会で論議することは、外交上好ましくないとの判断もあってか躊躇されたようである。マスメディアは、中国の軍事力強化、海洋進出等を報道してきたが、国民には十分に理解されてはいなかった。
9月3日、中国は抗日70周年を祝い、「抗日戦争勝利記念」としては初めての軍事パレードを天安門広場で挙行した。その規模壮大、整然として、軍の近代化、強化を痛感した。建国以来15回目のこの軍事パレードは、建国祝賀ではない。もちろん、国民の士気高揚を期待したであろうが、国内の少数民族、および近隣諸国、特に日本に対し、軍事的威圧を与え、今後中華大国の野望達成のための三戦を進めるための意図もあろうか。さらに米国に対抗する大国として軍事力を誇示。「中華大国の夢実現」に反対する米国への抑止戦略の一環でもあろう。
習主席は、訓示の中で「世界各国は国連憲章に基づき国際秩序を守るべきだ。中国は覇権を唱えず、拡張することはない」と宣言した。最近、南シナ海で、岩礁を侵略、開発し、軍事基地化している実態を知れば「何と白々しい虚言か」と憤慨しよう。中国は、米国に対し、核心的利益保全を前提に「新型大国関係」を要求しているが、米国は同意していない。日本は両国の間にあり、戦略的要点を占め、中立は許されない。日本は過去、平和に慣れ、憲法第9条を盾に、同盟国や国連への軍事的協力を回避してきた。50年前頃は、その能力はなく、各国もそれを容認した。中国にも弱点はある。米国および中国の進出に怯える国々と連携し、中国の無法な夢が覚めるまで、その進出を抑止すべきである。
力なき正義は無効である。親が「子供を戦場に出したくない」との心情は理解できる。しかし、将来、対日脅威が侵略に変化した時、日本は挙国一致で交戦すべきであろう。戦争を起こさないためには抑止力を堅持すべきである。平和のための戦争も必要である。某紙が、総理は、安保法制が参議院可決後の記者会見で「不戦の誓い」を述べたとあったが、誤記ではなかろうか。「平和ボケ」の療法として、僭越ながら、「漢書に学ぶ『正しい戦争』」(櫻田淳著)の一読をお勧めしたい。
(たけだ・ごろう)