五輪エンブレム中止に思う

宮城 能彦沖縄大学教授 宮城 能彦

ネット時代の社会現象

「夢」「覚悟」を白紙から問え

 沖縄本島北部、名護市嘉陽集落の海岸に東京オリンピック聖火宿泊碑がある。約50年前の1964年、東京オリンピック会場に向かう聖火がこの地で宿泊したことを記念した、かなり大きな石碑である。

 1964年という年は、沖縄が日本に復帰する8年前。しかしその頃は、復帰運動が高まりを見せていたとはいえ、未だ復帰の可能性は見えてこない頃であった。公共の場における日の丸の掲揚が許されたのもつい最近のことである。

 そんな中、東京オリンピックの聖火が沖縄中を走りリレーされていったことは、沖縄県民にとって大きな励みとなり、「祖国」との繋がりを実感することができた。その象徴が名護市嘉陽のオリンピック聖火宿泊碑なのだ。

 日本本土から切り離されて20年近く、今、目の前にある火が東京の国立競技場の階段を駆け上り聖火として燃え上がる。その火が日本と沖縄を直接繋いでいるという思いに多くの沖縄県民は駆られたのであった。

 あれから51年の今年。2度目の東京オリンピック開催が決定した後に、そのメイン会場となる新国立競技場の建設計画が白紙に戻るという失態に引き続き、この原稿を書いている最中にも、様々な疑惑があったエンブレムについても、大会の組織委員会がその使用を中止する方針を固めたというニュースが入ってきた。

 おそらく多くの人たちが、「日本は何かおかしくなっているのではないか」「何かが劣化しているのではないか」と思っていると思う。

 これらの問題がここまで大きくなって、結局は白紙に戻った原因を集約すると、①ネット社会特にSNSの発達によって情報が瞬く間に拡散していったこと②戦前から何も変わっていない日本の「だれも責任をとらない」体質が顕在化したこと③現在の日本は歯車がどこかで噛み合わないまま進行してしまっている――ということになると思う。

 ②と③については異論がある方も多いだろうが①については多くの人が感じていることだろう。

 特に佐野研二郎氏のデザインについては、彼の過去の作品に類似するデザインが数多くあることが毎日のように指摘され、私のように「シンプルなデザインは多少似てしまうこともある」と思っていた者も、次第に「ここまで来ると疑わざるを得ない」という気持ちになっていった。

 おそらく、現在のようなネット社会でなければ、ここまで大きな問題にならず、「なんとなく似ているけど」くらいで終わったのだと思う。むしろ関係者ほど目をつぶり続けたのかもしれない。しかし、素人によって発見された類似デザインが次から次へとネット上で広がっていくにつれて、その真偽とは別のところで、東京オリンピックの「イメージ」をいかに守るかという議論になっていった。

 このような社会を私たちはどのように考えればいいのだろうか。

 世の中の不正が隠蔽されにくく情報公開が進んだ「いい社会」と捉えるのか、それとも、素人によって事実も嘘もすべてが拡散されてしまう「こわい社会」と捉えるのか。

 もちろん、その両方であることは間違いないだろう。私たちは、そういう社会の中で次のオリンピックを成功させなければならないという重い荷物を背負っているのである。ひょっとしたら私たちは時代の変化を軽く見すぎていたのかもしれない。

 50年前に東京オリンピックを開催する目的は明確であった。

 それは、敗戦後、日本が国際社会に復帰し、日本の復興・発展を世界に示して日本への信頼を勝ち取るという大きな目的であり、そしてそれは日本国民の共通の願望であり夢であった。

 東京オリンピックの聖火が世界中を走り、最後に、未だ祖国に帰れない沖縄を走り抜けるという大きな企画も、「日本復帰」という沖縄県民の夢が託されたものであった。

 1964年の沖縄では、テレビもあまり普及していなかった。だから、テレビでリアルタイムに東京オリンピックを見たという人は多くはない。しかし、60代以上の多くの沖縄県民があの聖火リレーを今でも鮮明に覚えている。中には、当時小学校入学前の年齢だったのにも拘わらず聖火ランナーに日の丸の旗を振ったことを覚えているという私の同級生もいる。おそらく両親の熱狂が子どもに伝わったのだと思う。名護市嘉陽集落のお年寄りは今でも聖火が自分たちのムラに宿泊したことを誇りにしている。

 一昨年、2020年のオリンピックが東京で開催されることが決定したことで日本中が熱狂した。

 しかし、もう一度日本でオリンピックをしたいという今の私たちの思いは、いったいどれだけの「夢」と「覚悟」があったのだろうか。そして、今、それはあるのだろうか。私たちが世界に伝えなければならないメッセージとは何だろうか。それを考えるためには、50年前の日本人の思いを発掘し直すというのも、一つの方法になるだろう。

 メイン会場とエンブレムの白紙状態からのやり直しが決まった今、私たちも、もう一度白紙の状態から真剣に考えなければならないと私は思う。

(みやぎ・よしひこ)