終戦70年に建設的な視点を
将来に国家目標を示せ
政治と報道の矮小性は問題
8月は慰霊の月である。終戦記念日、今年の靖国神社は、若人・外国人を含め多数の参拝者で賑わった。例によって、参拝する閣僚・国会議員をターゲットにマスコミが例年以上の放列である。前日発表された安倍総理の「70周年談話」、佳境に入った参議院での安保関連法案審議の状況もあり、マスコミの取材も力が入ったものと考えている。こんな中、筆者の思いは例年になく複雑である。それは、終戦記念日に対するマスコミの報道ぶり、あるいは焦点の絞り方といった面で、果たしてこれで良いのか、もっと掘り下げないでよいのかという懸念である。若干の所信を披露したい。
先ず、戦争そのものに対し「二度と繰り返してはならない」とする主張である。基本的に賛成であり、おそらく日本国中、戦争をしたいと考えている人は皆無であろう。ところが、その報道ぶりはテレビ時代に入って50年全く変化・進歩が無い。戦場の熾烈な映像、本土空襲の惨々たる状況、原爆爆発の映像、沖縄戦の悲惨な状況等が毎年繰り返される。そして付き物とも言える遺された空襲体験者の証言、そして「戦争はいけない」という言葉である。
誠にその通りであるが、50年同じことを繰り返していたのでは、視聴者に訴える力も年々欠いていく悲しい現実である。受け取る視聴者も「戦争は遠い歴史上の事」とする年代が殆どで、我々の年代が「日清・日露の戦争」を過去として受け止めてきたのと同じ感覚になっているのを考慮しなければならない。同時に戦争の最も大きな犠牲となったのは、当然70年以前に犠牲になった方々であり、生き残って今に長らえている人たちは、如何に苦労したとはいえ幸運だったに違いないのである。
こう考えると、生き残った人たちが、如何に凄まじい努力で、復興に努力し、成し遂げていったかという、日本の将来に建設的な視点から過去を捉えることも重要ではないかと考えている。要は過去の汚点に過度に拘るあまり、将来への大きな視点を自ら封印してしまっているのではないかという疑問である。
安倍総理の70周年談話が発表されたが、結構な内容であったと考えている。しかし、中国・韓国の反応は予想された通り、芳しいものではない。どの様に受け止めるかは相手の自由だが、我が国としてはあまり気にすることはない。理由は両国とも、我が国内の相も変わらぬ左翼的症候群、過去の戦争に対する延々たる後ろ向きの報道を利用し、我が国の世論を国内問題に向けさせておけば、相対的に有利な立場に立てることを最大活用せんとしているからである。特に中国は2003年人民解放軍政治工作条例として、「三戦」(輿論戦、心理戦、法戦)の展開を公然としており、その典型と捉えられるからである。むしろ、中国の反応をことさらに伝える我がマスコミは、そのお先棒を担いでいると言っても差し支えない。
思えば、我が国は、終戦により、米欧の主導する「自由」「民主主義」「人権」「法の支配」「国際協調」といった理念の下、大正・昭和前半生まれの世代の勤勉・真剣な努力により、見事に産業・経済を中心に復興を果たした。それは文字通り、焼け野原に代表される「どん底」「ゼロ」からの再出発であったが、戦前水準への復興、そして「追いつき追い越せ」という奮い立たせる国家目標が明確であったことが大きく作用していると考えている。
反して「豊穣」といえる現世代においては目標と動機を失い、生産性の劣る社会へ堕しつつあるのではないかと危惧する。参議院での安保関連法案にしても、従来イラク、対テロ等の情勢下、その都度「特別措置法」を延々と審議し、時機を失する恐れある現状を、恒久法化することにより時機に適した行動が可能とせんとするものであり、安倍総理が説明するように、我が国の安全を堅確にするための施策と考えられる。おそらくは新日米防衛協力の指針に基づく諸作業と合わせて、東アジアの安定に大きな効果を発揮するものと考えて良い。
然るに、テレビ画面には元自民党幹事長から左翼政党まで卓を同一にして反対論陣を張る。政局を期待する党利党略であり、我が国政治の矮小性そのものである。
翻って中国は新戦略と言える「一帯一路」構想を発表し、陸と海の新シルクロードをアフリカに至るまで開発、当該経路国へのインフラ整備援助を進め、勢力拡大、資源確保を確かなものにしようとしている。その基金確保のため、アジアインフラ投資銀行を発足させ多数の国を参画させようとしているのは読者ご存じのとおりである。そして、被援助国への態度は従来と異なり、人材育成・雇用開発・文化交流と言った「微笑」に包まれた対応であり、好評という。
また、PKO、国際援助活動にも積極的で模範生化しており、国際社会における新興国の票稼ぎには効果を発揮している。国際社会において大国として君臨するための壮大な構想である。
比して我が国は、国内問題と言える「戦争反対」「安保法制反対」に現(うつつ)を抜かしている状況で、政治、報道の閉そく性を感じざるをえず、暗澹たる気持ちに落ち込む。望むらくは、我が国の将来を見据えた大戦略を検討し、国民の努力を奮い立たせて欲しいものである。
(すぎやま・しげる)