民主主義を示した70年談話
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
同じ価値観が同盟保証
安倍首相の姿勢を米は歓迎
米国政府やいわゆる専門家たちは安倍談話がいかなるものになるか期待と不安をもって待ち受けていた。安倍首相の経済、安全保障政策に対しては興奮と失望を繰り返してきた。第一の矢と第二の矢の成功には驚愕(きょうがく)と喝采を送り、第三の矢が大きな弧を描かないことを批判する。米軍が信頼度の高い自衛隊の活動範囲が広がることを願うのは当然だが、安倍政権の強硬姿勢には懸念も抱いていた。
「もどってきた」日本が戦後の節目にいかなる姿勢を示すか、それが安倍首相だけにさらなる関心があった。歴史認識や従軍慰安婦問題に関し、戦後50周年の村山談話、60周年の小泉談話に照らし合わせ、「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「お詫び」という四つのキーワードは入るか。安倍首相が自身の気持ちとして謝罪を表現するか。米国にとって重要なアジアの同盟国である日本と韓国の関係改善に貢献するか。
米国政府のコメントをはじめ反応はおおむね好意的であった。従軍慰安婦という言葉を用いなかった。一人称で謝罪しなかった。歴史解釈が日本の立場を擁護しすぎる。朝鮮半島を植民地化したことを述べなかった。など失望や批判はある。しかし、キーワードは全て入っていた。1年前に米国が心配したよりはるかに反省や悔悟の念が表現されていた。戦った米国やイギリスなどの善意や復興への支援、中国人が置き去りにされた日本人の子供たちの世話をしたことへの感謝を表した。日韓関係修復の一歩となりそうである。
そして安倍談話は日本がまさに立派な民主主義国家に成長したことを表すものとも受け止められた。キーワードが全て入ったことや談話のトーンは安倍首相が当初目指したものとは違うであろうと見られており、その背景には現在国会で議論されている安保法制があることは広く認識されている。
集団的自衛権を巡る懸念は欧米では理解しにくい。米国は北大西洋条約機構(NATO)をはじめ軍事的な同盟関係を世界中で結んでいる。しかし、その相手国に危険がせまると必ず支援するなどと誰も思っていないし、相手国が必ず米国とともに戦うとも思っていない。オバマ大統領は2013年にシリアのアサド大統領が化学兵器使用というレッドラインを越えるとシリア空爆を宣言した。そして英国に参戦を依頼した。しかし英国議会は同意せず、英国政府は参戦を拒まざるをえなかった。そして米国は空爆を留まった。
いくら集団的自衛権を認めていても、その時々の状況で各々の政府が戦争に加わるか否かを選ぶのは民主主義制度の基本である。安全保障同盟や集団的自衛権は自動的に参戦する義務でも、また相手国が必ず防衛してくれる保証でもない。米国市民は同盟国が米国と同じ価値観を有する国でなければ自国民を犠牲にはしないだろう。
日本における安全保障議論は民主主義国としてまだ幼い段階にある。しかし安倍談話は日本の民主主義が「国民による、国民のための、国民の政府」を実施していることを表しているとも評価された。経済政策でも安全保障政策でも強い指導力と決意を見せてきた安倍首相だが、談話には国会での議論や支持率の低下、一般市民やマスコミの9条解釈変更への反対がおりこまれている。
これは首相の弱さではなく、日本の民主主義の強さと見られる。特に日本をことあるごとに批判する中国と比較された。中国では政策は早く決まるかもしれない。しかし、歴史は捻(ね)じ曲げられ、人権は守られない。政府政策を公に批判することは投獄や失命を覚悟しなくてはならない。日本では誰でも堂々と政府や首相を批判したり、デモに参加できる。議論は長々と続き、安倍政権が目指したような、また米国が期待したような安全保障政策は生まれないかもしれない。民主主義とは時間を要し、結果は指導者の望むものにならないかもしれない。しかし、だからこそ米国が信用できる国たりえる。
汚点のない歴史を有する国はない。人権や平等を世界中で推奨する米国では白人警官による黒人殺害が大きな社会問題となっている。人種差別は改善するどころか悪化しているともみられる。人種差別、移民差別と思われる政策をかかげる大統領候補が高い支持率を得ている。南北戦争の傷は完全には癒やされず、南軍の旗が闇で出回っている。
しかし米国では第2次世界大戦の勝利ばかりでなく、核兵器使用の是非や米国政府の責任が今でも議論されている。ベトナム戦争を巡る政府や軍の判断ミスや責任、米軍に協力した南ベトナム人の苦難、そしてイラク戦争の是非や戦略。政府関係者、学者、軍人、一般市民がありとあらゆる角度から事実を検証し、政策や道徳上の問題が永遠に議論されている。
事実を真っ向から見つめようとする探究心、人間の限界に対する謙虚さ、議論を繰り返すことで理解を深めあえるという信念。安倍談話はこうした米国の実践する民主主義を日本も目指している証でもある。集団的自衛権や同盟条約では、米国人は他国を守ろうとは思わない。同じ民主主義であることこそが同盟関係の保証である。
(かせ・みき)