「非嫡出子」違憲判決に思う

秋山 昭八(社)教育問題国民会議理事長・弁護士 秋山 昭八

多様化してない家族形態
法律婚主義の尊重を訴えよ

 夫婦は同姓とする民法の規定は違憲で、国が夫婦別姓のための立法措置を怠ったとして、事実婚の夫婦ら5人が国に慰謝料を求めた訴訟で、東京地裁は5月29日、「夫婦別姓は憲法で保障された権利とは言えない」として、請求を棄却する判決を言い渡した。

 一方、最高裁大法廷は9月4日、婚外子(非嫡出子)の遺産相続分を結婚している夫婦の子(嫡出子)の半分とした民法の規定が憲法に違反するとの判断を示した。これまで大法廷は1995年、小法廷は2009年に合憲としていたが、この度、大法廷は「婚姻や家族の形態が著しく多様化し、国民意識の多様化が大きく進んでいる」として判例を変更した。

 しかし、大法廷判決が指摘する、「婚姻や家族の形態が著しく多様化した」とする実態はないと思料される。我が国において婚姻は男女の一夫一婦制に基づき、届け出によって成立するという「法律婚」を採っている。

 「事実婚」を自称する人はごく僅かで、国民生活白書(05年版)によると、事実婚をしているという人の理由は「夫婦別姓を通すため」というもので、イデオロギー的確信者である。

 また、婚外子は出生数の2・2%(11年)で、法律婚の子供が特に減ったわけではない。厚労省が指摘する「家族形態の多様化」は、少子・高齢化を背景とした世帯構成の変化であって、事実婚や同性婚といった結婚に関わる家族形態が多様化したわけでは決してない。

 かつての判例は、憲法14条1項は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、相続分区別の憲法適合性判断基準について、相続制度をどのように定めるかは立法府の合理的な裁量判断にゆだねられていることや、本件規定が、遺言がない場合等の補充規定であることを考慮して、本件規定の立法理由に合理的な根拠があり、本件区別は立法府の合理的裁量判断の限界を超えていないとして合憲としていた。

 さらに、本件規定の立法理由を、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったもので、我が国の民法が一夫一婦制による法律婚主義を採るのであるから、立法府の裁量判断の限界を超えたものということはできないとして、合憲としていた。

 選択的夫婦別姓についての積極論者は、氏名は個人の表象であり個人の人格の重要な一部であって、個人の人格権の一内容を構成するとし、民法750条の夫婦同姓の規定は婚姻に際して姓を変更したくない者に対しても姓の変更を強いることになり、個人の人格の一部である氏名権を侵害していると主張している。80年代以降、女性の経済的自立が進み、働く主婦が専業主婦を上回り、共稼ぎは夫婦の一般的姿になった労働実態から見ると、女性にのみ家庭責任を負わせる家庭観は不合理だというが、そのことと夫婦別姓とは全く問題を異にするもので、同姓論が女性にのみ家庭責任を負わせる等の主張は何ら根拠がない。

 憲法13条が「全て国民は、個人として尊重される」ことを規定した上で、24条で特に家庭に関する事項については法律が「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」ことを保障しているが、このことから直ちに別姓を保障しているわけではないことは言うまでもない。

 夫婦同氏制度は国民に広く親しまれており、世論の支持がある。これを一概に保守的思想と嫌悪視することは間違いである。最高裁1983年10月13日判決も「戸籍は、国民各自の民法上の身分行為及び身分関係を公簿上に明らかにしてこれを一般的に公証する制度で」「戸籍法が氏名の選択につき従来からの伝統や社会的便宜を顧慮しながら一定の制限を設けているのも、専ら右の法の趣旨・目的から出たものと解されるから、戸籍上の氏名に関する限り、戸籍法の定めるところに従って命名しなければならないのは当然で、これらの規定にかかわりなく氏名を選択し、戸籍上それを公示すべきことを要求しうる一般的な自由ないし権利が国民各自に存在すると解することはできない」「戸籍法50条の規定が子の名につき制限を課していることをもって個人の氏名選択の自由を制限し憲法13条に違反する旨の主張はその前提を欠く」と判示している。

 戦後の立法である現行法では、夫婦同氏制で夫婦の協議によって決めることになり、男女平等が保障されている。

 選択的別氏制を法律で認めているアメリカにおいても、夫婦は同氏が普通で別氏は社会的に容認されていない。

 今次最高裁大法廷判決が判示する社会情勢の変化は、国際連合の人権委員会が平成10年(98年)11月に我が国に対し、相続分差別の規定を改正する措置をとるよう勧告したことが大いに影響したものと思われるが、我が国の伝統である法律婚主義の家族制度を尊重することの重さを国際世論に訴えることこそ、国際的理解を得られるものと思料する。

(あきやま・しょうはち)