お墓を親しむ日本の家族制度
助け合い強い社会の基
米国の夫婦制度にない長所
元来、日本は家族制度の国であり、アメリカは夫婦制度の国である。
ところが、戦争に負けた国には勝った国の制度や考え方が入ってくるのが常道であって、敗戦国日本に米国の制度や考え方が入ってきたのも、例外ではなかった。憲法には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有する」(24条)など夫婦制度の考えが入った。このために、戦後の日本国民は従来の習慣どおりに家族制度を続けるか、それとも夫婦制度に移行するかという生活問題が起こった。
その具体的な一例として、ある家族の墓を挙げることができる。
家族制度の下では、その家族の嗣子(しし)や孫たちの遺骨は当然のことながら、いずれその家族ら先祖代々の墓に埋葬されるから、墓に対する彼らの親近感が濃厚になるが、夫婦制度の下では、夫か妻の都合のいい場所に埋葬されるから、家族の墓に対する親近感はあまり起こらない。
また、家族制度は、自分を生み、かつ育ててくれた親が高齢化すると、親の面倒をみるという好ましい優れた特徴を持っているから、魅力があるといえよう。
一方、夫婦制度のアメリカでは、親が高齢化して体の動作が不自由になると、その親を身近におかず、ナーシング・ホームと呼ばれる療養所へ入れて、親の面倒をこのような施設に任せておく人が多いから、夫婦制度は家族制度と比べると、随分冷たい制度である。
ところで、私事になって恐縮だが、筆者は戦後の著名な首相、吉田茂に面会した人で、まだ生き残っている唯一の人間ではないかと思っている。彼が私の面会の申し入れを受け入れてくれたことは、大変な恩恵を与えられたこととして感謝していた。その時の筆者の印象を述べると、彼は首相になる前に、ロンドン駐在の日本の大使をしていたこともあってか、彼の態度は一貫してイギリスの紳士を思わせるものであった。
彼の墓は東京都港区南青山の青山霊園の中にあるが、筆者の家族の墓も同じ霊園の中にある。その霊園の土地は東京都の所有地であるから、我々は毎年、東京都に霊園管理料を払っている。しかし、東京都にしてみれば、あんな便利な土地を霊園にしておくのはもったいないから、青山霊園をどこかへ移すべきだという移転論がかつて強く出ていた。
そうなると、我々としては八王子近辺に墓地を見つけて、そこへ墓を移転させなければならず、墓参りにも不便になると心を痛めていたときに、吉田茂元首相が他界され(1967年)、彼の遺骨は南青山の青山霊園にある墓に埋葬された。すると、吉田元首相の遺骨を埋葬してある墓を移転させることはできないという反対論が強くなり、青山霊園の移転論は消滅してしまった。
筆者は吉田元首相に面会できたことを、大きな恩恵を与えられたことだと思い、感謝していたが、偉大な元首相になると他界した後でも多くの人々に恩恵を与えていると感じ、さらに感謝の念を深くした。
一方、家族制度は親の面倒だけではなく、兄弟、姉妹といった同じ家族に属する人をも、自分自身であるかのように考えて、助け合う気持ちが強いから、温かい、優れた制度であるといえよう。
ところで、このような家族制度の特徴には、社会への波及効果があるから、相手が家族の一員でなくても、身近に困った問題を抱えた隣人がいると、自分の家族のように考えて、助けようとする傾向がある。
他の国々の社会と比べると、日本の社会では日本全体を一つの社会だと考え、人々の間の親近感がケタ外れに強いのが分かる。このために日本の社会、つまり日本は国内的には勿論のこと、国際的にもテロの可能性が事実上ほとんど無く、世界で最も安全であり、安定した社会であるのが分かるが、これも伝統的な家族制度のお陰である。
このような家族制度の魅力は、夫婦制度をとるアメリカ人にも魅力があると見える。コロンビア大学で日本文学の教授をしていたロナルド・キーン氏は、同大学の講義を終了して退職するや、日本に来て帰化し、日本人になって、日本的な家族制度の特徴が強く残っている日本海に面する集落に住んでいる。
最近、日本でも認知症を患う人が増えているようであるが、夫婦制度をとるアメリカでは、これに罹(かか)っている人は自ら悩み、自ら治療に努めなければならない。日本では、これに罹っている人が住んでいる近所や家族・近縁の人々が、協力して、それに対処しようという機運が強いが、これも日本の家族制度の長所の波及効果であるといえよう。
従って、日本国民は夫婦制度よりも、あくまでも家族を思いやる家族制度を堅持していくべきである。
(なす・きよし)