機能するための抑止論再考
集団的自衛権を土台に
西側の価値守る相互補完を
最近まで抑止の理論と実践は冷戦の遺物と見做されていた。しかし、ウクライナ危機の影響下に抑止原理は極めて現実味を帯びるようになった。抑止は今や再考されなければならないと主張される。専門性の高い低いに関わりなく、人は簡単明瞭と思われる概念の理解を試みるが、その実、簡単明瞭ではない。つまり、抑止とは何か? 何時抑止は機能するのか?何時機能しないのか?
抑止とは、自らが望まない相手の行為を防ぐための武力の威嚇である。これは、罰を通して到達する(deterrence by punishment)ことも可能であるし、あるいは、相手に対し、その軍事的及び政治的目標到達を防ぐ(deterrence by denial)ことも可能である。この簡単明瞭な定義から、抑止効果に到達するために、軍事力を提示するだけで充分であると結論付けられている。確かに双方が「合理的」に判断する限り、つまり経済的費用対効果の意味で思考する限り、軍事力は相互にチェックすることになる。しかし、事はそれほど簡単ではない。
歴史は、成功用例が示されていないばかりか、軍事的に遥かに劣勢な相手が優勢な相手に軍事攻撃を行う用例を示している。つまり強者が希望したように抑止が機能しなかったのである。その諸根拠は多様である。若干のケースでは、攻撃側が不意の要素を投入する。このように1973年、シリアとエジプトは軍事的に遥かに優勢な(しかも核武装していると推定される)イスラエルを攻撃した。
ここでも最初から攻撃側に軍事的勝利の蓋然性が無かったが、以前の軍事的屈辱への復讐が重要であった。エジプトとシリアは1967年の六日戦争(第3次中東戦争)での敗北以来、自己の心理的負担であった屈辱を軍事的引き分けをもって埋め合わせることを望んだ。シリアとエジプトが展望のない試みを敢えて行うことが考えられず、しかも自己の抑止能力を過信していたイスラエルの指導部にとって、ヨムキプール戦争(第4次中東戦争)は極めて大きなショックを意味した。
軍事的優性が必ずしも相手を抑止しない更なる理由は、1982年のフォークランド戦争の中に示された。当時、アルゼンチンの軍閥は英国軍に対して対抗できない事実を知っていた。しかし英国は、アルゼンチンが領有権を主張していた南大西洋の諸島の軍事的保護費用を削減し続けた。英国は、この諸島の領有権が引き続き英国のものであると公式には主張したが、アルゼンチンの軍閥は英国の現実の態度に鑑みて、この諸島に対する英国の関心が口先以上のものではないとの結論に達し、結局アルゼンチン軍によるこれらの諸島の占領となった。
抑止は失敗に帰した。何故なら、英国が抑止レトリックを軍事行動によって裏付けなかったからである。威嚇する側がその威嚇を実現するための軍事的能力を削減する場合、抑止の決定的メルクマール、つまり信憑性を失う。
しかし、アルゼンチンが驚いたことには、英国がその艦隊を南大西洋に向け、この諸島を奪還したのである。当時のアルゼンチンの実質大統領であったガルチエリ将軍は、後に欧州の一国がこれほど離れた、しかも重要性の低い諸島のためにかくも高価な代償を支払う用意があったとは信じなかったと述べていた。英国ばかりかアルゼンチンも相手側の意図を読み違えたのだ。
アルゼンチンの将軍たちは、英国ほどのプライドの高い国家に対し罰せられることなしに海外領土の一部であっても奪還できると想像し得たのだろうか? これへの解答は平時には多分そうであろう。しかし、危機事態では時計の針が異なった廻り方をするのだ。人間の決定手続きに関する多くの研究は、何らかの価値あるものを失うことを恐れる人間が、何らかの価値あるものを獲得する展望以上により大きなリスクを受け入れる用意がある結果を示している。
そのことをフォークランド紛争に転用するならば、その意味するところは内政的に苦境に立たされていた軍閥にとって関係諸島の獲得が重要なのではなく、権力の維持そのものであった。諸島の占領は自らの支配の喪失を阻止する試み、つまり前方への逃避であった。抑止システムにとって設立的な合理性は崩壊したのだ。
82年の教訓は今のロシアの内政に鑑みて、とりわけ現実的である。つまり自らへの政治的服従を確保するために民族主義を意図的に燃え上がらせる者は、その帰結が予測できない軍事的冒険主義に陥る危険に自らを晒(さら)すことになるのだ。
ここに抑止原理の本来的難事が存しているのだ。つまり一定目標への到達に対する相手側の利益が自らの利益よりも大きな場合、抑止が機能しないのだ。このための古典的用例は、ソ連が米国を挑発したキューバ紛争である。ソ連は、米国があらゆる手段を伴って自らの中核的利益を守る意欲を示した時に初めて譲歩したのだ。
結論として、抑止が機能するための前提は、双方が合理的な判断をする場合に限られる。つまり、西側諸国は自らの有する諸価値(人権擁護、法治国家、自由民主体制)を守るために結束することが不可欠である。そのための顕在的形態が集団的自衛権を土台とする相互補完体制であり、これが抑止を機能させ続けるのだ。
(こばやし・ひろあき)