ヒョウタンから学んだこと

金子 民雄歴史家 金子 民雄

太古の人類移動に恩恵

命の源の水を補給し世界へ

 ヒョウタンが実る季節を迎えた。プラスティック製品が世界に蔓延してしまった現代では、ヒョウタンなどと言ったところで気にもかけない人が多いだろう。第一これが植物なのか知らない人も、きっといるにちがいない。「瓢箪(ひょうたん)から駒」、「ひょうたん鯰(なまず)」などといった日本の諺はあるものの、もうこんな古くさい譬え話など、いまではめったに聞くこともない。

 春先になると思い出すことがある。戦時中のこともあって、私は生まれたとき体重は大変大きかったのに、医師からこの子は虚弱なため満足に育たないだろうと言われたという。時代は母乳ぐらいしか育児の手法がないころのこと。しかし、なんとか4~5歳まで育ったものの、窓辺に立つのがやっとのことで、このときどうしたことからか、父親がヒョウタンの小さな苗木を数本買ってきて、私の寝床の横の窓下に植えたのだった。

 この苗木の成長の早さは驚くばかりで、みるみる育っていった。こちらといえば窓枠につかまって体を支え、やっと外の庭を望むのが精一杯だった。ところが、こんなことをやっているうち、いつかじっと上を見ることができるようになり、いつの間にかヒョウタンが健康の源になっていたのだった。やがて、か弱いヒョウタンの蔓(つる)に実がつき始め、みるみるうちに大きくなっていき、幼心にもびっくりするばかりだった。

 この話も、ここからが本筋である。もうずっと後のことだが、ヒョウタンは国産のもので、どこにでも生えている植物の一種だと思っていた。確かに今はそうだが、じつは、はるばる外国から渡ってきた外来種であり、しかもこの原産地が西アフリカと知って仰天した。

 この西アフリカの辺りは、人の顎骨が突っ張ったような所で、さまざまな歴史的事件の舞台となった所だった。赤道ギニアから黄金海岸と呼ばれたリベリア、シェラレオネと続く沿岸部は、過去から現在まで悪病の発源地で、今も恐ろしいエボラ出血熱の猛威で名高いところであり、野口英世も熱病で命を落とした所である。昨年猛威を振るったエボラ出血熱では今年(2015年)1月まで感染者は2万人を超え、死者は9000人にのぼったという。この熱病の恐ろしさはうっかりすると、世界に蔓延することだ。この熱病とイスラム過激派を同一視するのはナンセンスだが、数百人の幼い少女たちを攫(さら)った事件を起こした所も、この地域だった。たちまちこれも世界に波及する。病気も悪事も人が動いて世界に広がる例である。

 ところが、か弱いはずのヒョウタンが、なんとここから世界に広まったとのことだった。西に大西洋を渡ってメキシコからアメリカ大陸に北上し、地中海からは欧州に、さらに東に折れてギリシャ、トルコ経由で陸のシルクロードを通り中国に、一方はアラビア半島から中東へ、また東へとインド洋へと海のシルクロードを抜けて東南アジアへ入っている。ヒョウタンは食中毒症状を起こす成分を含んでいるので食用にはならないし、別に香料でも薬草でも、観賞用植物でもない。ではなぜ地球の果てから果てまで広まっていったのか。ここから先はもう勝手に想像するしかない。

 何しろ、日本にヒョウタンが入って来たのは、今からざっと7000年前に遡るという。絹だの茶だの、仏教だのと古代日本文化を並べ立てて論じたところで、ヒョウタンの渡来歴と比べたら話にならない。日本より西アフリカに近いヨーロッパ大陸、中東、南北アメリカ大陸においてはもっと原始的な古い時代に渡っていったことであろう。

 多分、ヒョウタンは太古の時代に容器として人間には生きていく上で最も重要なものだったのだろう。要するに水を運ぶ容れ物である。水の豊富な日本にいると、水の貴重性がまるで分からない。水は数日切れればもう絶望的である。私は中央アジアの砂漠で体験したことがあるが、これはもう想像を越している。その命の元を運んでくれるのがこのヒョウタンだったはずだ。時代劇では酒の容器とされているのが多いが、これはまた別だ。

 ヒョウタンのたどったルートははっきり確定できないが、繁殖地を点と線で結んでいけば、このパズルは容易に解けよう。ともかく地中海に入ればすぐ北側の沿岸に着いたろう。かつてギリシャのエーゲ海に浮かぶ小さな島々を旅したとき、店先にはヒョウタンが売られていた。ここに至るルートは、いまリビアやアルジェリア地方から殺到するアフリカ難民を乗せた船でひしめいている。ここから東のアラビアから中東地域に通じるルートは、かつて古代宗教のゾロアスター教もユダヤ教も、またイスラム教もたどったのと同じルートにちがいない。

 現在、ヒョウタンの文化は地球上での歴史の舞台からとっくに去ったが、ヒョウタンがお手本をみせてくれた価値は、いま改めて再認識されてもよいのではないだろうか。猛繁殖して他の植物に害を与えることもなく、ナスやキュウリのように食材にはならなかったものの、大昔の人類の移動に水分補給の手段を与えてくれた恩恵は計り知れないほど大きかった。これに比べ、アフリカ・アラブ地域で跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し貴重な遺跡すら破壊する過激なISのような存在は、人類協力して断固拒否することだ。

(かねこ・たみお)